母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。(ヨハネによる福音書2章1―11節参照)
クリスチャンにとっては、私たちの生活は奇蹟のある生活だということを共に喜びたいと思います。
この聖書の箇所からも分かるように、―
1.奇跡は仕える人たちのもの
イエスは、カナという所の婚礼で最初の奇蹟を行われました。この時代の結婚式は大変盛大なもので、一世一代の晴れ舞台。こともあろうにその婚礼の途中でぶどう酒が底をついてしまったのです。舞台裏を知るイエスの母マリヤがぶどう酒がなくなったことをイエスに伝えます。イエスは「わたしの時はまだ来ていない」と答えますが、手伝いの者たちに「水がめに水を満たしなさい」と言われました。彼らが井戸から水を汲み、80リットルから120リットル入る水がめ6個に水を満たし、それを世話役のところに持って行くと、最上のぶどう酒に変わっていたのです。
ここには、知っていた人と知らなかった人の2種類の人がいました。実際に水を汲んだ手伝いの者たちだけが、水が最上のぶどう酒になった奇跡を奇跡だと知ったのです。お客も世話役も、この奇跡のことを知りませんでした。
奇跡を奇跡として100%味わえるのは、仕える人々なのです。
2.奇跡は仕える者の人生を豊かにする
本当の奇跡は見世物や金儲けにはならないのです。奇術や手品は、その仕掛けやからくりで人を驚かせますが、神の奇跡の業は人を驚かせるために起こるのではありません。本当の奇跡は、それを体験する人々を幸福にし、人生を感動で豊かに潤すものです。水を汲んだ者たちは、そのすさまじい奇跡を目の当たりにし、それを一生忘れることはなかったでしょう。彼らの人生を変える、救い主イエスとの出会いとして心に刻まれたのです。
ごく普通の人たちがイエスに従い、共に助け合い仕え合うとき、主は、舞台裏で働く者たちだけが喜ぶようにと、不思議、奇跡を与えられます。
4月のビル・ウィルソン大会に共に語るため来日予定だったムーイ師は当時、大変困難な状況に陥っておられました。マレーシアで大きな街の1区画に与えられていた教会を完全に買い取るための対価として3億円を支払う期限が4月半ばに迫っていたのでした。
一時立替の約束をしていた米国の伝道者が何かと面倒な条件をつけ始め、この契約を諦めるしかないような状況が続いていました。もし今回の支払いができなれば、すでに行なわれた改装費など、莫大な借金が残るだけです。最終期限の日、銀行の閉まる4時間前にその伝道者から当初の約束どおりに支払うからという電話が入り、入金確認ができたのは、その契約が流れる2時間前だったのです。信じられない奇跡です。神は神を信じる者に恥はかかせられません。このことをムーイ師は誰にも言いませんでした。仕える者たちだけが知る奇跡です。
神は、私たちの信仰生活を豊かにするために奇跡を行なわれる。クリスチャン生活は、奇跡のある生活です。
そして最大の奇跡は、イエス・キリストが罪に汚れた私たちのために十字架にかかられ罪を贖い死なれたことです。そのおかげで死ぬべき私たちが永遠の生命に生きることができるようになりました。この奇跡によって私たちの人生は潤され続けます。この奇跡の恵みを共に味わおうではありませんか。
◇
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など、多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。