イエスの体と血であるパンとぶどう酒を十二弟子に与えた聖餐式と同じ霊的な真理が、ヨハネの福音書13章では伝えられています。
最後の晩餐の食卓で、あらかた夕食が終わった時、いきなりイエスが立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いを腰に巻き、たらいに水を張り、サンダル履きの素足で道を歩いてきた弟子たちの汚れた足を、ひざまずいて洗い始めたのでした。師であるイエスが奴隷の仕事をし始めたので、弟子たちはとても驚きました。現代のように世の中が優しくなり、偉い人でも仕えてくれる時代ではなく、身分の違いがはっきりしていた時代でしたから、弟子たちにとっては考えられないことでした。この出来事の中で、イエスは弟子との間の「わたしとあなた」というはっきりした関係をもう一度明らかにされました。この物語から、三つのことを共に学びたいのです。
1.私たちには分からない神のご計画がある
ペテロは学歴はありませんでしたが、弟子の中では最年長で、世の中のわきまえるべきことは知っていたつもりでした。だから、戸惑ったのです。「師であるイエス様が、私の足を洗うなんて!」やんわりと拒絶したのです。するとイエスは、「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないだろう。後でわかるようになる」と言われたのです。
私たちが信じている神は、たかだか人間の知恵が造った偶像の神ではなく、私たちには分からないことが山ほどある本物の神なのです。このことを心から感謝したいのです。二千年前、十字架の上で死なれたイエス・キリストが、こともあろうか私やあなたの罪を直接背負っておられたなんて、教会に来る前の私たちには想像も付かないことでした。イエスが死んだエルサレムから日本まで、何千キロも離れているし、イエスが活躍されたのは二千年も前のことだし、私に係わっているとは思えない。でも聖書は、「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神の愛は私たちに示されています」と語っていて、私たちが何も知らなかった時から、神の愛は私たちのために注がれていたのです。
イエスが自ら弟子の足を洗うことは、この直後、何の罪もないイエスご自身が汚い罪にまみれた人間の身代わりとして、はりつけになって死のうとしていることを、たとえのように示されていたのでした。
パンとぶどう酒をいただく聖餐式も、私たちの理解の範囲をはるかに超える儀式です。いただくのは、パンやぶどう酒ではなく、私たちの理解をはるかに超える神の救いをいただくのです。
2.足を洗う御業で私たちは主との特別な関係に入る
ペテロは、先生に足を洗ってもらうなんて申し訳ないから、「私の足を洗わないで下さい」と辞退したのです。すると、意外な答えがイエスから返ってきました。「わたしがあなたの足を洗わなければ、わたしとあなたとは何の関係もない」ペテロは最初から、イエスと師弟関係にあると自信満々でした。しかし、イエスが持とうとされていたのは、師弟関係も吹っ飛ぶような特別で深く強い親密な関係だったのです。なんと素晴らしいことでしょう。神のひとり子イエスの方から私たちに提供しておられる関係は、とことん仕え合い、命を捨ててもかまわないと思えるほどの関係なのです。主が私たちに仕えて下さる御業は、主イエスと私たちとの特別な関係を生み出します。
3.主の御業は十分で有り余る幸せを生み出す
ペテロは少々おっちょこちょいですから、イエスと特別な関係に入れていただけるというと、「じゃあ、主よ。足だけでなく、手も頭も」と言います。するとイエスは、「すでに全身を洗っている者はきよいから、それ以上は必要ない」と仰いました。
そういう意味で、イエスの救いは、それ以上何も必要がないほどの十分な喜びであり、私たちが幸せに生きていくための必要が全部満たされるのです。あなたの一生分、いえ、それ以上の永遠の命に繋がるところまで、あなたの魂を救って下さいます。もう、きょろきょろ他のものを探す必要は一切ありません。
イエスが「わたしの体と血だ」と言ってパンとぶどう酒を与えて下さる聖餐式には、イエスが奴隷のように私たちの薄汚れた足を洗って下さる仕える姿勢があったのです。どこまで仕えて下さったのか。イエスは、命を捨てるところまで私たちに仕えて下さり、有り余る幸せを生み出して下さいました。このことを、心から感謝したいのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。