中学二年生になった時、東亮吉先生が担任と決まった。嫌だと思った。音楽と体育の教師ほど、苦手なものはなかった。
きっかけは小学校一年の最初の音楽の時間だった。クラス全員が歌えなかった。先生は本気で怒り、一メートルの竹のものさしで順に頭を殴った。生まれて初めて殴られたことへの反抗と、ものさしを取りにいかされた子が憧れの小さな恋人だった二重のショックで、私は二度と歌わないと決心していたのである。
体育もどういうわけか苦手で、木登りもチャンバラ遊びも、ボール遊びさえもしなかった。かけっこも皆の後ろから歩いているようなものだった。
東先生の最初の授業は音楽だった。しかも発声練習をすると言う。嫌みにさえ感じたが、ふと、そろそろ歌ってみようかと思った。「榮義之。お前の番だ。前に来てピアノの前に立って、大きく声を出しなさい」と言われ、「ハイ!」と勇ましく前に出た。皆はもう笑う用意をしている。自分では「あ・あ・あ」とピアノに合わせて歌ったつもりだったが、初めて聞いた自分でもおかしい音だった。先生はピアノを弾くのをやめて、教室中に響くように「榮義之、お前は本物の音痴だな」と叫んだ。もしそのことばだけだったら、私はこの文章を書いていないし、東亮吉という教師を思い出すこともなかっただろう。
先生は、「音楽は歌うだけではない。もっと高尚な楽しみ方があるぞ。発生練習は終わりじゃ。少し待っておれ」と言うと、教室を出ていった。「お前は本物の音痴だな」ということばにホッとしていたのを覚えている。きっと教師の心に何の皮肉も、とがめる心もなく、純粋に思ったままのことばが出たからに違いない。みんなの視線も気になったが、自分が決めてやったことに正当な評価を受けたのだし、自分でも自分の声を聞いて狂っていると思ったのだから、どうということはないと、もう開き直っていた。
職員室から蓄音機を抱えて戻ってきた東先生は、その時間をレコード鑑賞に切り替えてくれた。そのレコードの意味は分からなかったが、心にしみ込む美しさは、涙が出るような感動で胸に伝わってきた。歌えない少年の気持ちをしっかりと抱きしめてくれた教師の心が、曲の流れに乗って伝わったのかも知れない。後で知ったことだが、それはドボルザークの交響曲第九番「新世界より」だった。この曲のもつほのぼのとしたもの、人恋しさや肌のぬくもり、独りぼっちのさびしさ、哀愁の気持ち、訴えるような美しい旋律、そして力強さにあふれた開拓者スピリット、奔流のように流れるたくましさ。今もなおこの曲を聞く度に、私のために「新世界」を選んでくれた先生の心に感謝する。この時まで教師に対して一度も開いたことのなかった心が、少し緩んだように感じた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。