91年と92年に起きたペルーでの虐殺事件に関して、当時コリーナ部隊によって殺された遺族によるフジモリ氏引き渡し請願書が31日、ペルーの日本大使館に渡されていたことが分かった。日本カトリック司教協議会社会系委員会がインターネットサイト上で全文を公開した。
以下は請願書の全文:
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リマ 2003年7月30日
日本国総理大臣
小泉純一郎殿
拝啓
私たちは、1992年7月18日にコリーナ部隊によって誘拐され、殺された、エ ンリケ・ グスマン・イ・バジェ国立教育大学(ラ・カントゥタ大学)の教官と9人の学生の遺族 です。謹んで貴方様にご挨拶垂オ上げるとともに、ペルー 政府によって提出された逃 亡犯罪人アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリに対する引渡し請求に応じてくださいますように、ここにお願い垂オ上げ ます。
ご存じのように、1990〜2000年の10年間には、ペルー国民アルベルト・フジ モリが わが国を統治し、同時に私たちの家族の虐殺を含め、人権侵害の責任者でもありま す。彼は軍の最高司令官として、コリーナ部隊として知られる 殺人部隊の結成とその 部隊が行なっていた活動を知っており、またその活動に対して昇進や報奨金で報いる などの支援を行ないました。
ペルーは不処罰と闘い、すべての人権侵害の加害者を処罰して正義を実現す ること で、このような犯罪が二度と繰り返されないようにする必要があります。そのため に、私たちペルーの市民にとって、フジモリの引渡しは重要な ことなのです。
私たちは、見せかけの二重国籍を盾として、私たちの祖国で起こされた犯罪 に対する裁きと制裁を免れるために都合よく利用するような殺人者を、貴方の政府が保護していることが理解できません。しかしアルベルト・フジモリ は、彼のご都合主義の議 論にも拘わらず、2006年の大統領選挙をめざして、先週ペルーに対して彼の新しい政 党を発浮オました。この行動は、フジモリ がペルー国籍を今なお行使しており、ペルーの政治に積極的に参加しようとしていることを示しています。
私たちは11年前から真実と正義を求める闘いを続けており、この闘いをあく まで続けていく決意であります。貴方が責任感と犠牲者への連帯感から私たちの要求に応えてくださることを信じております。
敬具
アンドレア・ヒセラ・オルティス・ペレア
身分証明書番号09615782
カルメン・ロサ・アマロ・コンドル
身分証明書番号07487286
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請求の理由は91年と92年に起きたペルー国内での虐殺事件で、当時のフジモリ元大統領の事件への関与疑惑が浮上。マキャベロ駐日ペルー大使は今日31日未明、外務省で島内憲中南米局長に対し、現在日本に滞在しているペルーのフジモリ元大統領の身柄引き渡し請求文書を提出した。
フジモリ氏は、3選をめざした00年4月の大統領選挙の前後、側近を通じて野党の国会議員を買収するなど不正が次々に発覚し、国内の支持を失った。同年11月に日本に立ち寄った際、辞任を楓セ。ペルーでの訴追については「政治的迫害だ」として容疑を否定し、帰国して再びペルー政界に復帰したいとの意向を楓セしている。