第46回日本ケズィックコンベンション箱根大会第1日目の20日、午後7時から聖会(1回目)が開かれ、カナダ・トロントのピープルズ・チャーチ主管牧師でケーペンレー聖書学校校長のチャールズ・プライス博士が説教した。プライス博士は、福音には神の義が啓示されており(ロマ1:17)、神の義は信仰によって与えられること(ロマ3:22)、信仰とは「キリストが私のうちに働くこと」を信じることであると説いた。
プライス博士は、聖書の福音にあらわされた神の力とは、本来「義」ではないものが「義」とされること、つまり神の義が回復されることだと説いた。
では、「義」とは何か。それは神の性質をあらわす。神はご自身に似せて人を創造された(創1:26)。人は、神が持つその素晴らしい性質を生涯を通してあらわすためにつくられた。ところが人類に罪が入った(創3)。「正しい者はいない。一人もいない」(ロマ3:10)――プライス博士は、「人は自ら神の義を生み出すことはできない」「すべての人は罪人となったこと」がどうしても知らなければならない真理だと語った。
しかし、そんな人類に神は、神の義を回復する道を与えられた。プライス博士は、「神の義は信じる者に与えられる」とし、信じるとは「キリストが自分のうちに働くこと」を信じることだと語った。
罪と何のかかわりもない神の子イエスを、神はすべての人々のために罪とされた。プライス博士は、イエス・キリストのあがないの十字架によって、主を信じる者すべてが、神によってすでに義と宣言されたことを強調した。
またプライス博士は、義と宣言されるのは神であって、たとえ信じる者の行いがどうであっても、その人の「義である」という立場は決して変わることはないと語った。信仰をもって神との交わりの中に常に身をおくとき、キリストがその人のうちに働いて自然と神のかたちが回復されていくと説いた。
最後にプライス博士は、箱根ケズィックの歴代講師の一人、アラン・レッドパス師のエピソードを紹介した。レッドパス師が闘病中、内面では悪と激しく戦いながらもキリストを見続けた姿に、同師を看病していた病院の関係者は「何かわからないのだが、彼と接すると自分が聖められるようだ」と告白したという。プライス師は、「(自分の内面にある悪と)いつも戦っているのは真理。しかし周りの人が見ると聖い。人々はその人の中にキリストを見た」「(キリスト者が)キリストに似たものとされる、それが福音そのもの」だと語った。