11、12日の2日間、東京・国立代々木オリンピック記念青少年総合センターで開催された日本福音同盟(峯野龍弘牧師=JEA)宣教委員会主催「宣教フォーラム2006」は、11日午後6時半から「セッション2」が行われ、本郷台キリスト教会(横浜市栄区)の主任牧師・池田博師、教育牧師・月井博師、ユース牧師・池田恵賜師が同教会の宣教戦略を報告。続いて日本同盟基督教団の岡山敦彦牧師が、同教団の宣教戦略を報告した。
本郷台キリスト教会は、「ミッション3000」という明確な教会のビジョンを掲げている。?初代教会は、教会のあるべき姿のモデルである(使徒2:41,42)、?弱り果てている人々への、イエス様の憐れみがその根底に流れている(マタイ9:35,36)ことを基本理念に、?、地域社会に霊的インパクトを与えていく、?、地域社会のすべての人に福音を伝え、救いに導く、?、地域社会の人々がかかえる問題、悩みに、主による解決を祈り求め、仕える、これら3つを教会の使命としている。
主任牧師の池田博師は69年、当時10人ほどのメンバーが集まる同教会に赴任。春と秋の特別伝道集会には、みんなで力を合わせてトラクト配布やポスター貼りに励み、毎週第一主日には、伝道集会に関係なく、地域にトラクトを配る働きをしていた。教会員もとても協力的であった。さらに同師は、一人で遠方の地域へ赴き、家庭を一軒一軒まわる訪問伝道も行っていた。
しかし、一生懸命伝道すればするほど、実りがなかった。赴任して数年、池田師は宣教のいきづまりの中で挫折を経験した。
ある日の主日礼拝の後、池田師は自分の正直な気持ちを教会員らに打ち明け、牧師を辞任する旨を伝えた。しばらくの沈黙の後、前方の席に座っていた祈りの熱心な年配の女性信徒が「私どもは先生のために祈り、従います。先生、お願いします」と優しく励ましてくれた。
その瞬間、池田師を締め付けていた「殻」が破れた。それまでの受身の姿勢から、「何よりも主のために」積極的に何かを生み出していく姿勢へと変わった。「がんばります」教会員らに頭を下げた。同師には、新しい宣教のアイデアが次第と浮かんできた。
「人々のニーズにこたえる」ためにはどうすればいいか。池田師は、地域のチリ紙交換の仕事を自ら率先してやりだした。賛美歌を流して町を練りまわるチリ紙交換車は、すぐに地域の人々の関心を集め、会社の売り上げも上昇していった。自分が人々の生活の身近な存在となることができ、教会のトラクト一つを渡すだけでも、その反応は以前とはまったく異なっていた。
「あなたたちは罪人で、これを読んで救われなけばいけない」というような上から下へ見下げるような姿勢を、トラクトをもらう側は無意識に感じているのかもしれない。しかし、廃品回収をしながら教会のトラクトを配っていくと、人々は素直に受け取ってくれる。トラクトを渡してくれる牧師が、上からではなく、自分たちと同じ視点に立って接していることを、受け取る人々は素直に実感できた。
池田師は、こうして地域の人々からの信頼を集め、さらに学校のPTAや、地域の民生委員などの仕事に積極的に携わりながら、地域とのしっかりした接点をつくっていった。
使徒2:41にあるとおり、初代教会の誕生にあたり、主は一度に3000人を加えられた。この3000人が力強く生き生きと主を証ししたことから、当時の社会は福音化され、教会員はさらに増し加えられ、世界宣教にまで拡大していった。最後に池田師は、「今の時代の教会でも、3000人だからできる働きや、社会的なインパクトが必ずあるはず」と語った。
池田師の講演の後、同教会の月井博師と池田恵賜師は、本郷台キリスト教会が推進する「ミッション3000」から生まれた、具体的働きについてそれぞれ報告した。