大嶋氏は旧約聖書のイザヤ6章を引用して神とイザヤの関係を説明。イザヤが預言者としての生涯を決意した背景に「神は私のような罪人を救われたのだから、神があの人々を救われないはずがない」という、神と人々に対する謙虚さと信仰があったと解き明かした。
同氏は「許してくださる神を知っているクリスチャンは、自分が罪人であることを徹底的に覚えていなければならない」と強調した。殺人や姦淫、偶像礼拝などを行う民の罪の深さに絶望したイザヤが、神の前に立ち、神の清さと自分自身の罪深さ、神の許しに気づいたとき、預言者としての使命を受け入れた。クリスチャンを含めて、人間には「自分はあの人とは違う」という高慢な心を持つ可能性があり、その結果、神からの恵みを逃してしまうのだという。
大嶋氏は、神の許しと召命は同時に来ると語った。「クリスチャンになった瞬間、人間が突然変身するという意味ではない」としたうえで、同氏は「許しと召命が同時になされることは、神の一方的な愛の奇跡だ」と話した。
「自分の罪の深さを知り絶望したイザヤに、神は『あなたの罪は全て取り去られた』と語られ、すぐさま『誰を遣わそう』とイザヤを招いた。人間は信頼関係の回復に時間がかかると考える。しかし、許された後、信仰生活をしばらく続けてから召されるのではない。こんなに罪深い私を、神はすぐに信頼してくださるのです。」
神の愛を信じた信仰によって、イザヤは神の召命に応じた。
「(イザヤが使命を受け入れたのは)自分に自信があったからではない」と大嶋氏。「私は罪人だが、神が用いてくださるのなら、主よ、どうぞ用いてくださいと、イザヤは、神の愛に対して立ち上がったのです。」
預言者としての長く険しい道のりを歩むことを決意したイザヤには、「私ほどの罪人を救われた神の救いの手が、あの民にも及ばないはずはない」という確かな希望があった。大嶋氏は、「それは救い主、イエス・キリストに対する希望だった」と指摘した。
大嶋氏からの決心の招きに50人が立ち上がり、天を仰いで神に「私を遣わしてください」と祈った。
大会実行委員長の小寺徹牧師(ウエスレアン・ホーリネス教団)は「準備スタッフが少人数だったが良い雰囲気の中で大会が進行した」と、聖霊の働きに感謝の意を表した。この大会で熱い思いを抱いた青年たちが主に大きく用いられることを願っているという。