【AP通信】米国では19日「ダヴィンチ」映画公開初日を迎え一般に公開された。AP通信宗教関係担当記者のリチャード・N・オストリン氏によると、映画版の「ダヴィンチ・コード」ではダン・ブラウン氏の原作の小説の中に記述されている宗教的に論議を醸す部分が巧妙に緩和されて編集されているという。
しかし映画版でもやはり新約聖書ではどこにも記述されていないイエスキリストがマグダラのマリアと結婚したという話に焦点が当てられているという。
映画版では元の小説で「我々の父祖たちが私たちに教えてきたキリストに関するほとんどすべてのことは嘘である」という主題を省いており、それとは違う趣旨にしてあるという。この記述は、映画では疑問形で「もし世が今まで私たちが教えられてきた偉大な救いの歴史が嘘だったと言うことを発見したらどうなるか?」に変えられていたという。
しかしながら主たる変更点はこの話の中の二人の宗教史専門家のハーバード大学教授ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)氏とリー・ティービング(イアン・マッケラン)氏との間の極めて核心的な神学議論の中に生じているという。
狂人的なティービング氏の主張(その故に学会で無視された)によると、キリスト共同体はもともとイエスを単に1人の人間としか捉えていなかったのにA.D.325年にコンスタンティヌス一世によるニカイア公会議によって急に神性を与えられるようになったという。それに対して良心あるラングドン教授がダン・ブラウン氏の小説における批判すべき重要な点を穏やかにティービング氏の主張に反論する形で述べているという。
ティービング氏は後に教会は4福音書に神性を与え、その他のイエスを人間として記述した書物は廃棄したことに話を発展させた。このことは神学者らの怒りを買っている。なぜなら、4福音書として神性を与えられたマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ以外の福音書はイエスを人間として記述していたというよりもむしろ、概してイエスに対して福音書が与える以上の霊的な神性を与えていた(グノーシス主義に陥っていた)からであり、ダヴィンチ・コードの記述とは反対の理由から廃棄されたからである。
ティービング氏が主張する核心となるところは、イエスは妻を娶ったというところであるが、それに対してラングドン教授は「それはある老婦人たちの作り話だ」と反論している。
実に現実にはイエスとマグダラのマリアが結婚したという歴史的証拠はどこにも存在していない。またイエス夫人が存在したという考えは生涯独身で神に仕える敬虔なローマカトリック教会の修道僧らに対して極めて衝撃的な考え方でもある。
ラングドン教授は助手のソフィー・ヌヴー氏(オドレイ・トトゥ)に対して「何を信じるかということが一番問題なんだ」とまるでキリスト共同体に関する歴史的な事件は基本的に私たちの信仰に何の問題もないかのように語っているという。
AP通信リチャード・N・オストリン記者によると、映画の内容は小説の内容に比べ宗教的に議論を醸す部分が緩和される形になっていることからも、この映画によって2000年のキリスト教の伝統がひっくり返されることはまずないと思われるという。またカンヌ国際映画祭での映画上映会の際は、「ダヴィンチコード」映画の中でもっとも感動的かつ神学的なクライマックスを迎えたところで多くの聴衆らが笑ってしまったという事実からも、クリスチャンらが必要以上に恐怖心や不安を抱いてこの映画を構えて見る必要もなさそうであるという。