サウジアラビアのアルカイーダ指導者が治安部隊によって殺害された後、彼の支持者らはアルカイーダ指導者を殉教者として称えた。一週間前には、キリスト教組織がアメリカ人平和活動家で人質となりバグダッドで殺害されたクリスチャンに対し同じ言葉を用いた。
このような『殉教』という言葉を含む声明文からどれだけ西欧諸国がイスラム過激派と奮闘することによって宗教的殉教の意味合いを強めるかがわかる。一部のキリスト教徒は「犠牲」や「英雄」という言葉の含意はイスラム過激派声明から持ち出されたものだとし、互いに相手方の宗教を迫害者として描き出している。
ロンドンを拠点とする宗教社会傾向を調査するシンクタンク"Ekklesia"の共同理事長ジョナサン・バートレー氏は、「イスラム過激派は自爆テロ実行犯を『殉教者』と呼びます。このことはキリスト教にも反映されています」と述べた。
キリスト教徒らは逆にイスラム教徒によって殺害された活動家や聖職者に対して『殉教』という言葉を用いる。バートレー氏は、「『殉教』という言葉の使われ方がいくつかのキリスト教団体によってその意味するところが狭義化されています。彼らは『殉教』という言葉の意味を文明の衝突に強く焦点を置いて用いています」と述べた。
文明衝突は、インターネットによって瞬時に価値観が広まり、より深刻化してきている。
多くのキリスト教ホームページやブログではイスラム教に対する批判的な意見が含まれており、3月10日に銃殺された死体が発見されたイラクキリスト教平和活動家で人質となっていたトム・フォックス氏の死に対し、『殉教』という言葉を用いている。
キリスト教平和活動家(CPT)チームはキリスト教徒らにフォックス氏の死をイスラム教に対する反対運動の要素として用いないように訴えた。CPTは声明文で「我々は全ての人々に対し、たとえどんなことをされたとしても他者を軽蔑したり悪魔化したりする傾向を避けるように要求します」と述べたという。
2月には、イタリアローマカトリック司祭のアンドレア・サントロ司祭がトルコ黒海沿岸の担当教会で祈りをしていたときに銃殺されたことでより広範なイスラム教徒に対する憤りが広まった。この事件の容疑者は16歳の少年で、彼はイスラム教預言者モハンメドの風刺漫画に反対することから、殺意が生まれたという。
バチカンのトルコ大使官で大司教のアントニオ・ルシベロ氏はサントロ司祭の死を嘆き、「新たな千年を歩むにいたって初の殉教者である」と述べた。
最近、キリスト教団体は『殉教』という言葉を頻繁に使うようになってきている。2004年度のオランダ映画制作者の殺害や、テロ活動で犠牲となった死者に対し、『殉教』という言葉をあてはめている。
インターナショナルクリスチャンコンサーンの政策分析家ジェレミー・スーエル氏は、「現在キリスト教徒に対するイスラム教徒の聖戦という考え方が急速に成長しています。この構造が、殉教者と考えられる人の種類を決定付けてしまうのです」と述べた。
イスラム教では、殉教者にまつわる話は7世紀から存在する。これが20世紀に入って急に過激派の運動と結びつくようになり、この殉教という言葉がパレスチナ軍隊とテロリスト組織にも結びつくようになった。
冷戦が終わったことで、キリスト-イスラム間の緊張が深刻化し、インドネシアにおけるイスラム-キリスト間の文明衝突、1996年のアルジェリアでの7人のフランス人修道僧のイスラム教軍人による殺害などを含む多くの宗教間の殺害事件が引き起こされた。
このような事件は常に衝撃的であり、ローマの活動家アンドレア・リッカーディ氏は、キリスト教殉教者の概念がイスラム教過激派に対する仕返しになってはいないかと心配している。
殉教に関する本を著したこともあるリッカーディ氏は、「イスラムテロリストに仕返しをした人が『殉教者』と呼ばれるにふさわしいでしょうか?そうではありません。キリスト教の殉教者は他者のために死ぬことを求めていません」と述べた。
バーナード大学でこの問題について研究するエリザベス・カステリ助教授によると、保守派福音キリスト教徒はイスラム教に対する疑念を投げかけるのに『殉教』という言葉を簡単に使いやすいという。
カステリ助教授は、「問題はイスラム教自爆テロ実行犯が本当に『殉教者』であるか否かということではありません。問題は彼らを殉教者として崇める人々にあるのです。一部のキリスト教徒にとっては、キリスト教徒であると自分自身のアイデンティティを明確化するためにキリスト教徒は迫害されていると述べます。それ故に、時に信仰深いキリスト教徒でない人でも、『殉教者』と呼ばれる危険性さえ生まれてくるのです」と述べた。
キリスト教の大部分の宗派は「殉教」は原始キリスト教時代に信仰のために殺されたクリスチャンのことを意味するとみなしているが、多くのキリスト教徒がプロテスタントによる宗教改革時やその他の時代においてキリスト教徒らが宗教裁判で苦しんだ事実からより見解が複雑化された。それ故に一部の教会などでは『殉教』という言葉の意味を信仰の故に殺された全てのキリスト教徒の死を意味すると広義にとるようになった。
今日の宣教団体は通常2億人のキリスト教徒が世界で何らかのかたちの迫害に遭っていると報告している。
ローマ枢機卿カミロ・ルイーニ氏は「キリスト教徒の殉教の要素は現在も健在です」と延べた。ローマの司祭サントロ氏の殺害に関して、ルイニ氏はサントロ司祭を早く列聖することを望む意を述べたという。
しかし、サントロ司祭の殺害事件はまだバチカンにおいて解決されていない。もし、殺害容疑者が精神的に不安定で、犯罪を犯す動機に満ちていたなら、今回の事件でサントロ司祭を列聖することで、列聖という言葉の意味を劣化させることになるからである。
イタリアの有力紙"Corriere Della Sera"紙の編集長はイスラムがキリスト教世界を支配しようとしているという見解の強い西欧諸国に毒化された雰囲気の中で、裁判を急速に行うことで判決に不平等性が生じると警告を与えた。
編集長は、「そのような状況では文明の衝突のわなにはまってしまうことはたやすいことでしょう」と警告している。