【バチカン(AP通信)】米クリスチャンポスト紙によると、ベネディクト16世は2日、前ローマ教皇ヨハネパウロ2世の没後1年の追悼集会で、前教皇が死に至る寸前までカトリック教会を主導するという使命に忠実に生きたことに触れ、その苦しみと残された遺産に思いをはせながら前教皇を追悼した。
ベネディクト16世はサンピエトロ広場に集まった何万人もの人々を前に、「ヨハネパウロ2世は生前不屈の信仰心に鼓舞されながら、自己を神に捧げ、彼自身を聖マリアに委ねていました」と主日の説教で述べた。
多くの聴衆はヨハネパウロ2世の母国ポーランドの白と赤の国旗を携えていたという。ヨハネパウロ2世追悼集会はサンピエトロ広場で2日9時37分、ヨハネパウロ2世の逝去した正確な時刻を心に刻むために徹夜の祈りを伴って行われた。バチカン市国当局によると、ポーランドからの参加者1万人を含む、10万人から15万人もの信者が参列したという。
正午の祈りの中、ベネディクト16世はイエスの生と復活を黙想する最終週間である聖週の最中に昇天したヨハネパウロ2世の末期の生活に思いをはせた。
ベネディクト16世はヨハネパウロ2世の1978年10月28日、彼が教皇に選出された翌日のメッセージがもっとも印象深かったと述べ、当時の説教の中でヨハネパウロ2世は信徒らに、「心を開きなさい。キリストに向かって大きくドアを開きなさい!」と呼びかけていたことに触れた。
ベネディクト16世は、ヨハネパウロ2世が多くの困難にぶつかりながら26年間の教皇としての生活を走りぬいたことを賞賛し、「前法王の末年においては、主が徐々に彼の物を取り去っていきました。そしてもうこれ以上旅行することが出来なくなり、歩くことも出来なくなり、しまいには話すことも出来なくなるにつれ、前法王の説教は必要最小限の内容まで削減されていきましたが、彼に与えられた賜物は彼が死に至るそのときまでしっかりと彼を支えていました」と述べた。
主日の徹夜の祈りの中で、ヨハネパウロ2世による著書、詩、説教が福音書や賛美歌と交互に読み出された。ベネディクト16世はヨハネパウロ2世の逝去時刻丁度に追悼メッセージを捧げた。このメッセージはヨハネパウロ2世が大司教を務めたポーランドクラクフで生放送された。
ポーランドでは、ローマカトリック教徒らがヨハネパウロ2世を称えるために教会に溢れ返り、ポーランド国家の最愛の息子として早く列聖されることを願った。
また数千人もの信徒らがポーランド南部のヨハネパウロ2世の故郷バドビツェに詰め掛けた。バドビツェには国旗や地元の旗が掲げられていたという。
この記念日のために妻と3人の子供と共にワルシャワから350km以上はなれたバドビツェまで駆けつけたWojciech Gladysz(33)氏は、「私たちはヨハネパウロ2世の一日も早い列聖のため、またヨハネパウロ2世のため、我々の共同体を守ってくださることを祈りにきました」と述べた。
バドビツェでの野外ミサでは8000人もの信者が集まったという。
クラクフ市の近郊のLagiewniki市における早朝ミサではヨハネパウロ2世に長い間秘書として仕えて来たStanislaw Dziwisz枢機卿が、ヨハネパウロ2世の一日も早い列聖のために説教を捧げた。
Dziwisz枢機卿は「ヨハネパウロ二世は国際関係の抜本的な変遷を遂げるのに大変貢献しました。そのために、歴史それ自体が既に彼を偉大であると賞賛しています」と述べたという。
ヨハネパウロ2世はポーランド国民の中では、霊的な指導者であることに加えて、1980年代に民主主義保護運動を鼓舞し、1989年に共産政権を打破することに大いに貢献したことで大きな賞賛を受けている。