【ロサンゼルス】1日、UCLA(the University of California at Los Angeles)で有名聖書キリスト教護教論者が、なぜ人権とキリスト教は切っても切れない関係にあるのかについて講演した。
1日夜、およそ100人の人々が英ルートン大学法学及び人文科学名誉教授兼フランスストラスブール国際キリスト教護教学、福音伝道及び人権学会会長のジョン・ウォーウィック・モントゴメリー博士による「人権とキリスト教−なぜこの二つは切り離せないのか」と題した講演会に集まった。この講義では、キリスト教は人権について議論するときに必要不可欠であるということを説明することに焦点が置かれた。
「何故私たちは法と人権を宗教と関連付けようとするのか」モントゴメリー名誉教授は講義の始めにこのような質問を聴衆に投げかけた。この問いに、「法律という学問分野は必ずある根本的な原則に基づいていなければならず、そのような原則は宗教を通してしか見出せないからです。私たちは今夜人権を宗教と切り離すことを正当化しようとする理論から始めてこのことについて追求してみるつもりです」と答えた。
この理論の中でモントゴメリー名誉教授は、「道徳の基準はある程度自然に発生する」と主張する自然法理論について説明した。
17世紀に自然法は人間の理性のうちに新たな基盤を見出した。自然法とは、理性によってのみ決定付けれられる、人間にとって「自然な」法律で人々が互いに調和を持って生活することを許すものであると説明される。この自然法理論はその後オランダの法学者ヒューゴ・グロティウスによって世界初の国際法の包括的な理論へと発展するに至った。
しかしながらモントゴメリー名誉教授は「自然法理論は持続不可能です。なぜならば世の中には多種多様な文化があり、その文化に基づいて異なる価値観、異なる人権に対する考え方があります。このことが自然法が拭い去ることのできない『曖昧さ』の問題になってくるのです」と自然法理論の限界性を指摘した。
さらにモントゴメリー名誉教授は、「人の良心はその人の社会環境要因、家族要因によって影響されうるものであり、故に人によって良心の価値観に差が生じるのは必然的なもの」「そのために価値観の相違による摩擦が発生する」と述べた。
「世界的に受け入れられる一つの統一的な価値観は存在しない。各々の国と法的制度がそれぞれ独自の価値を所有している。これらは互いに通り過ぎていく列車のよう。双方のシステムが双方にとって単に関係があるだけなのです。」
さらに彼は大多数の人によって支持されている法律が正しい法律とはならないことについても、「世界的に受け入れられる価値観があったとしてそれが効力を成すと思いますか。成す訳がないでしょう。5億人は間違っていると主張するでしょう。人々による合意でそれが真実になると思いますか。くだらない。すべての人が太陽が地球の周りをまわると唱えてもそれは真実にはなり得ませんでした」と熱く主張した。
教授は、もし人々に共通の良心とある一つの価値体系があったとしても、そのことで彼らがその共通の良心と価値体系に忠実であり続けることを意味しないと言う。
「何故人々はよい道徳価値基準に従わないのでしょうか」と教授は問いかけた。「彼らはそれらの価値観が正しいと認めながらどうしてそのようなすばらしい原則に従わないのでしょうか。なぜなら人々が自己中心的だからです。最悪の独裁者ならそれらの価値体系は人権のためにあり、そして人権とは自分たちだけのためにあるのであって外部の人間にあるものではないと言うこともできるでしょう。実に私たちがこの地球上に絶対的な価値体系を持っていないことと、私たち自身が自己中心的であることが問題なのです。しかしもし世界に唯一無比の真実なる価値体系が存在したとしても私たちはそれに従わないでしょう」と述べた。
その上で、「キリスト教は原則を提供します。キリスト教は自己中心からの救済の手を差し伸べます。キリスト教は心を変化させ、新たな命へと生まれ変わらせます。キリスト教徒にとって、他者は価値のある存在です。他者は神が罪から贖われた存在なのです。」教授はこのように何故人権とキリスト教が切り離せない関係なのかを述べ、講演を終えた。
モントゴメリー博士はキリスト教護教学、福音伝道、人権問題を専門とする教授で宗教学、哲学、法学の分野において10以上もの学位を所有しており、5ヶ国語に亘って40冊以上もの本を執筆。また彼は国際裁判所における人権問題の法廷弁護士であり、ルター派教会聖職者でもある。モントゴメリー博士は20世紀にもっともはっきりとキリスト教を護教した人物の一人であると言われている。