8月15日の終戦記念日を前に、世界の平和を願い、教会で祈り、共に礼拝をささげるためウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(峯野龍弘牧師)により13日、平和聖日礼拝が開催された。 礼拝には、6日まで行われた同教会夏の伝道集会「サマー・イブニング・クルセード」の新来会者や決心者も訪れ、人間一人ひとりの内に、そして世界にまことの平和をもたらす聖書の御言葉に耳を傾けていた。
同教会主管牧師の峯野龍は説教で、憎しみと争いに満ちる社会情勢に言及し、この世に生きる人間一人ひとりが、どれだけ愛で満たされることを必要としているかを説いた。
創世記3章には、人間の堕落について記録されている。人間は、その高慢さゆえに、神と共にあることを望まず、「神との関係性」を捨てた。創世記1、2章にある、自然も人間もすべてのものが調和し、受け入れあう美しい世界は失われ、創世記3章以後は、人間の憎しみ、争い、分裂と抗争に満ちた歴史が記録されている。
人間はその罪のゆえに、自分の力ではもはや神との関係性を取り戻すことができなくなった。天地万物の創造主である神にある、限りない愛と平和の世界を失った。
にもかかわらず、神は人間を深く愛し、自身の罪ではなく、人間の罪のゆえに十字架にかかり、その限りない愛を示した一人子イエス・キリストをこの世に与えた。このイエス・キリストによって、人間は神と和解し、神の愛と永遠のいのちと平安が与えられる。
峯野師は、世界が苦悩するその原因を根本から絶つためには、人間が神の愛に立ち返ることが何よりも必要だとし、まずは一人ひとりが、神の愛を受け入れ、自らの罪を神の前に告白し、毎週の礼拝、日々の祈りの中で神の御心を求めるよう呼びかけた。
会場では、聖フランシスの「平和の祈り」を来場者全員で合唱。「憎しみのあるところに愛を/いさかいのあるところにゆるしを/分裂のあるところに一致を/うたがいのあるところに信仰を/間違っているところに真理を/絶望のあるところに希望を」「慰めをもとめるよりは慰めることを/理解をもとめるよりは理解することを/愛されるよりは愛することを」世界にまことの平和を実現させる、キリストの愛のメッセージが会場全体に響き渡った。