25日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で開催された第15回「ホーリネス弾圧記念聖会」で、午後3時からの講演会の後、午後6時半からは聖会が行われた。日本ホーリネス教団神戸教会の斉藤溢子師が弾圧の実体験を証しし、続いて同教会の斉藤信男師が説教した。
斉藤溢子師は、少女の目で見たホーリネス教団弾圧を語った。
戦争当時、キリスト教に対する迫害は日本全土を覆った。教会の日曜学校に行こうとすれば、地元の少年たちから石を投げられ、棒を持って脅された。そんな迫害を受けて教会に行けず、やむなく帰宅した少女・溢子に母は、「礼拝を守らなければ、神様にゆるされないこと」といつも厳しくしかり、迫害の中にあって少女の信仰を育てた。
少女が学校から帰宅すると、しばしば特高警察の一人が家の一室で父を尋問していた。クリスチャンの父は訪れた彼らに対し、いつもと変わらない穏やかな表情で接した。そして、その隣の部屋でいつも懸命に神に祈りをささげる母の姿を、溢子師は今でもはっきりと思い出すという。
毎月決められた日には、学校全体で神社参拝を強制された。少女は、教師から注意を受けていやいや頭を下げながらも、心の中では「拝んでいるのではない、石を拾っているだけだ!」と決して偶像礼拝の罪に妥協しなかった。
さらに迫害は厳しさを増していった。ついに昭和17年6月26日未明、特高警察による一斉検挙が教会を突如襲った。教会にあった書籍はすべて取り上げられた。集会は一切できない。牧師は捕らえられ、信徒の家庭に行くこともできなかった。「これからどうなるのか」最初、信徒たちは先が見えない状況にただ戸惑うばかりだった。少女・溢子も例外ではなかった。
しかし彼らは最後まで、神を信じて懸命に戦った。「神はどんな時にも助けを与えられる」迫害がさらに厳しさを増す中でも主に助けられ、溢子師を含む兄弟5人全員は奇跡的に日曜学校に通い続け、最後まで立派に信仰を守り通した。
最後に溢子師は、迫害を経験した自分の人生を「試練を通して錬られた人生」と証しし、「(迫害は)尊い体験だった」と神に感謝をささげた。