日本から海外に派遣されている宣教師の数は、国際協力スタッフも含めて約三百六十人(配偶者含)で、全登録教会員の一千七百人に一人の割合だ。米国と韓国はキリスト者(自称)の約千二百人に一人が宣教師で、米国は宣教師数が十二万人で世界第一位、韓国は九八年から毎年およそ三千人ずつ増加している。
教会は世界宣教の重要性を歴史的な視点から再認識し、宣教師育成と派遣に尽力すべきだ。
十九世紀、ギュツラフやベッテルハイム、ヘボンやリギンスといった欧米宣教師がキリスト教禁教下の日本に上陸し、犠牲と労苦の中で日本を開国へと導き、日本におけるプロテスタントの福音史を切り開いた。この民族への愛と自己犠牲は、日本のプロテスタント史に永遠に語り継がれるであろう。
アジアそして世界から注目される日本となるためには、全世界に出て行って福音の種をまき、払った犠牲の証人を集める必要がある。
受洗者数の低迷や高齢化に伴う教会の弱少化で、日本の教会が近い将来、空の状態になることも懸念されている。ここで宣教師を多く派遣すれば、国内の働き手は短期間で激減し、今でさえ伸び悩んでいる教会は一層少数化するだろう。
だが、開拓は、「今」しか出来ない尊い働きだ。他国の働きによって福音が各地に宣べ伝えられていけば、やがて開拓する土地は無くなる。既に教会がある土地と未開の地とでは、宣教に赴く価値や重さに天と地ほどの差がある。数百年後の日本のキリスト者たちが、日本の先祖は神の国のために何をしたのかと問うとき、彼らの目に今の私たちはどのように映るのだろうか。
空になった教会は、神様が満たしてくださる。現実を見れば信じ難いことにも、キリスト者は祈りながら焦点を合わせ、宣教戦略を再構築して全力で取り掛かるべきだ。
宣教地では、伝道に加えて日本が世界に誇る技術的、物資的、経済的支援を提供できる。情報化社会において必要不可欠な通信技術や情報網の構築、パソコンや自動車等の物資は、未発達の地に福音をいち早く広める助けとなる。後続の宣教師も現地での活動を円滑に始められるだろう。
命じられてから動き出すのではなく、愛と犠牲の動機で世界宣教を捉えなおすことが、日本に求められているのである。