東日本大震災で甚大な被害が起こったことは事実ですが、復興させようとしている時、日本全体が重苦しい空気に覆われたままでは、復興させる国力が湧き上がってきません。たとえ事実でも、いつまでも悲しみの中に留まり続けることが良いとは限りません。あなたに、たとえ大きな悩みがあるとしても、神は生きて働かれ、常に動く人生の事態に向き合って働いて下さり、先回りして恵みを備えて下さる神であることを信じ、感謝しましょう。
今日の聖書は、十字架で死なれたイエスが、三日目によみがえられたその日の午後から夕方にかけての出来事です。クレオパともう一人の弟子が、エルサレムからエマオという村に向かって旅をしている時、ふと気がつくと、一人の男性がエルサレムの方向から来て一緒に歩き、話し掛けてきたのです。そして、イエスの十字架の死のことや、朝からイエスの墓がからだったという噂が流れている中で、男性がその話題を知らなさそうだったので、「あなたはエルサレムから来ながら、あの大騒ぎを知らないのですか」と話をし始めたという記事なのです。
私たちの信じる神は、単に昔の物語の中の神ではなく、命の与え主として私たちの人生に寄り添って下さり、神の恵みの事実はちゃんと動いているということを共に受け止めたいのです。三つのことを押さえておきます。
1.重心は、悲しみの事実と喜びの報告のどちらに
人々は、イエスを神から遣わされた救い主と信じ、イエスによって世の中が変わると期待をかけていました。しかし結局、イエスは祭司長、律法学者に引き渡され、十字架で殺されてしまったのです。人々が体験した悲しみの事実でした。
一方、今朝、女たちが墓に行ってみると、墓はからで、御使いが現れ、「イエスは生きておられる」と告げられ、仲間が何人か墓に行ってみると、「女たちの言ったとおりだった」という、イエスがよみがえられた喜びの報告があります。残念ながら、二人の弟子たちは、悲しみの事実に重心を置いていました。
私たちが心の重心を置くべき場所、それが肝心です。人間が生まれながらに持っている心の癖は、後悔するような悲しみの事実はどんどん突き回して心の中で増幅させるけれども、喜ぶべきことは軽視してどんどん忘れ去ってしまうということです。あなたがイエスと出会って救われたことや、祈りに答えてイエスが救いの業を現わして下さったことや、いくつも感謝すべき出来事はあるはずです。あなたはどちらに心の重心を置きますか。
2.喜びの報告を事実とするために、必要な信仰
イエスがよみがえったという知らせが広がっているにもかかわらず、十字架の死という悲しみの事実ばかりにこだわっている弟子たちに対し、イエスは「預言者たちが語った言葉をどうして信じようとしないのか」と仰いました。神の御業を自分のものとして受け止め、神の恵みに向き合うためには、いつも信仰が必要です。他の誰かではない、あなたが神の御言葉を信じることです。
どんなに自分の思いが大切だとしても、クリスチャンとして生きる時には、弱い自分の思いや感情に身を任せてしまうのではなく、命の与え主、神の御言葉に耳を傾け、心の焦点を合わせることです。私たちの救いは、弱い私たちの所ではなく、イエスにあります。必要なのは、信じることなのです。
3.共にいて下さるイエス・キリスト
エマオに近づいた時、その男性は二人の弟子から一緒に泊まることを勧められ、共に食卓に着きました。彼がパンを取って祝福し、裂いて二人に渡された時、二人の目が開かれ、イエスだとわかったのです。不思議なことに、イエスの姿はすぐに消えましたが、単なる幻ではありませんでした。「今日、何時間もずっと一緒に道を歩いて下さったよね。聖書をわざわざ説明して下さったよね。確かにその間、私たちの心は燃えていたよね」弟子たちが求める前から、キリストは共にいて下さったのです。
よみがえりの主イエスはいつも私たちが気づく前から私たちと共にいて、落ち込みがちな心を引き上げて下さり、御霊を与えて心を燃やして下さいます。そこに、悲しみの出来事に翻弄され、ため息をこぼしながら生きる弱々しい生き方とは違う、御霊によって燃やされて生きる、神のしもべとしての本当の生き方が動き始めるのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。