【CJC=東京】新約聖書ヨハネの第一の手紙4・20。『「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。』と日本語新共同訳は訳出している。米国のプロテスタント諸教会で、現在広く使われているのが新国際訳(NIV)は『誰でも「わたしは神を愛す」と言いながら、彼の兄弟を憎むなら、彼は嘘つきである』(仮訳、以下同)としていたが、今年に入って刊行された最新訳では「兄弟」を「兄弟または姉妹」と性的に中立のニュアンスを盛り込んだ訳にした。これでは神学的な意味を変えてしまう、と保守派が反発している。
ややこしいのは、古代ギリシャ語やへブル語では両性に当てはまる語を英語では伝統的に男性形で訳していること。他言語への訳出では、常につきまとう問題だ。「兄弟」という単語を見ても、日本語では、原語なり英語にはない「兄」と「弟」という関係性がつねに付きまとっている。ただ日本人で今それを意識する人がほとんどいないことも、訳語問題の複雑さを示している。
1965年以来、聖書学者による独立グループが、毎年会合して、聖書学の進展や、英語用法を議論して、NIVが編集された。
NIV最新訳では、神については「彼」や「父」をこれまでと同様に使用しているが、原語で特定の人物を指していない場合に「彼」(he)や「彼の」(his)を使うことを避けている。
しかし最新訳が書店に並ぶ前から、『聖書の男性・女性評議会』(CBМW)から批判の声が上がっていた。CBМWは、家庭にあって女性は夫に従うべきであり、教会では男性だけが指導的な役割を果たすことが出来る、と信じている人たちで結成されている。
CBМWは、今回の変更が「神学的方向とテキスト(本文)の意味」を変更しているとして、最新訳を推奨しないという声明を発表した。2005年版が出された時には、南部バプテスト連盟が同様の懸念を示し、採用しなかった。
NIVの取り組みをマルコによる福音書4・25で見ると…。
現在、最も広く採用されている1984年版では、イエスが「持つものは誰でもさらに与えられ、持たないものは誰でも、彼が持っているものまで、彼から取り去られる」と、「彼」があった。それが『今日の新国際訳』(TNIV)と呼ばれる2005年版は、「持てる人はさらに多く与えられ、持たない人については、彼らが持っているものまで、彼らから取り去られる」に変わっている。「彼」から「彼ら」(they)と表記しているが英語の「彼ら」には性的指向がない。
2011年版は、「持つものは誰であれ、もっと与えられ、持たないものは誰でも、彼らが持っているものまで、彼らから取り去られるであろう」と訳出した。
CBМWは、2005年、文節の主語を複数形にすることは、それが1人の男なり1人の女を同等に扱うためにするのであれば、それは「個人と神の間の個人的関係に関する聖書的思考の重要な側面を潜在的に隠ぺいした」と言う。
CBMW会長のランディ・スティムソン南部バプテスト神学校教会宣教学部長は、訳語の変更は、特に福音派にとって無視出来ない、と述べている。
「福音派は聖書の言語完全霊感を信じている。すべての単語は、神だけでなく、広範な思想に影響にされるものではなく、神の霊感によるものと、信じているのだ」と言う。
そこで、元のヘブル語で「兄弟姉妹」を意味することが分かっていても、英語では「兄弟」と読むべきだ、とする。原義については注釈を付ければ良いとの主張だ。