世界中のキリスト者たちが、大震災が生じ復興に尽力を尽くしている日本のために祈り、支援する心を示す一方、日本という国で生じた大震災の悲劇に動揺を隠せずにいる。「なぜ神はこの様な苦しみが生じることを許されたのか?」そのような疑問が多くの神を信じる者たちの間に生じている。
米国で著名な聖書教育・キリスト教弁証家でラジオ番組のホストも行っているアレックス・マックファーランド氏は艱難の中に見出される神様の御心について、ビリーグラハム伝道協会(BGEA)を通して次のように述べた。
―「テロなどの人的災害、地震など自然災害が生じるとき、多くの人々はなぜこのような悲劇が生じたのか?神様はどこにおられるのか?なぜ神様はこのような悲劇が生じることを許されたのか?と疑問に思います。人間は有限なる存在ですから、だれもなぜそれぞれの災害が生じてしまったのか、明らかに善人であるような人々が犠牲になるのか完全に理解することはできません。
イエスの時代の人々も、ヨハネの福音書9章に書かれてあるように、生まれつき目の見えない人がどうしてそのように生まれたのか、またルカの福音書13章に書かれたある災難が生じて滅んだ理由などを知りたがりました。私たちの人生に生じるすべての出来事の理由について知ることは難しいですが、これらの出来事を振り返ることで、神様と世界について希望を見出すことはできます。
神様は創造物に対し、ご自身の存在をあらゆる方法で示してくださっています。もともとは完全であった創造物が人間の堕落により罪が広まるようになりました。ローマ書8章21~22節に書かれてあるように、被造物自体も、滅びの束縛にあり、人間の堕落による苦しみを経験しています。ここまでなら、希望や慰めを得ることは難しいですが、神様は黙示録21章5節において『すべてのことを新しくする』と約束されておられます。そして何よりキリストご自身が墓から蘇られたことで、死から勝利されたことを証しされました。
私たちの人生に生じる苦難や災害に対する道徳的に納得のいく理由はあるのか?という疑問はあらゆる人々に生じますが、聖書的に答えを出すとすれば、艱難や災害を通してこれまで信仰を知ることのなかった人々にとって、キリストの救いが必要であることを見出すことができる機会をもたらします。またクリスチャンであっても、艱難の谷を乗り越えることでより洗練され、深い信仰に目覚め、神様の存在についてより深く認識できるようになります。キリスト教童話作家のC.S.ルイス氏は『痛みは耳の聞こえない世界を目覚めさせるための神様によるメガフォンである』と表現していますが、私たちは苦難や災害が生じるとき、その中にも神様の御心と憐れみがあることを知るべきです。苦しみを通して私たちの心の奥に潜むものを明らかにし、また私たちのプライドを打ち砕き、神様を求める気持ちをより深くさせます。そして苦しみが私たちを成熟させ、より謙遜にさせ、私たちが他の人々とより深くつながることができるようにさせます。また苦しみを通してキリストの奉仕により多くの人々が自然と関与するようになります。
悲劇が生じつつも、神様はその中から益をも生み出してくださいます。喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者といっしょに泣き(ローマ12・15)、世界が新たにされるのを待望するべきです。世界中のクリスチャンが祈りと愛と憐れみ、そして支援の手を日本に差し伸べています。
神様が存在しなければ、苦しみの中にも意味は見いだせないでしょう。人生それ自体が意味をなさないものになってしまいます。人生の谷・艱難の時を乗り越えるにおいて、私たちがキリストの中にあってこそ癒しと清めを受けられることを知ることが必要です。神様がこの災難にあって日本の人たちをお互いともに近しい存在とさせ、また主により近く接することができるようになりますことを願っています。」
ルカの福音書13章には「災難を受けた人々が他の人々より罪深い人々であったというわけではなく、あなた方も悔い改めないなら、皆同じように滅びます。シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人がエルサレムに住んでいる誰よりも罪深い人々であったのではなく、あなた方も悔い改めないなら皆同じように滅びます」と書かれている。世界中のキリスト者らが、艱難の中にある人々と心を共にし、より深い信仰に目覚め、まだ神を知ることのない人々をも信仰に目覚めさせることができるように、世界が新たにされていくことが願われている。