東北の中心都市仙台から50キロほど北にあるここ南三陸も寒さが底ですが、教会駐車場横の花畑では水仙の芽が少しずつ顔を出しています。
さて、旧約聖書の原則でもあるのですが、詩篇には神とイスラエルとの関係が延々と書きつづられています。また新約聖書ガラテヤ書3章26節から29節では「もし、あなた方がキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり約束による相続人なのです」とありますから、相続人の私たちも旧約聖書、そして詩篇の恵みにあずかることが出来ます。
ルターは詩篇について「世にある限り私の唯一の慰めとして役立った。皇帝も諸王も聖徒も助け得なかった時に私を大艱難から助け出してくれた」と体験的に証ししています。私も30年前に誰一人知らない地に遣わされ、毎日寂れた港町で何ヶ月も熱心にトラクト配布をし戸別訪問伝道しました。すぐに御業が起きると頑張りましたが、思うようにいかず、霊肉が疲れ果てました。自分を過信していたのです。それでしばらく祈りに専念し、詩篇を唱えて暗唱し、恵みにより立ち直ることが出来ました。特に詩篇119篇71節の「苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」によって力をいただいたことでした。
118篇1節から4節では「主の恵みはとこしえまで」(新改訳)と3回も恵みについて記されています。「恵み」とはヘブライ語では「ヘン」と言います。その意味は、「神は味方になって下さる」というものです。新約ではパウロが恵みを深化させて「カリス」(ギリシア語)として101回も使用しています。彼以外の記者も51回使用しています。私たちは祈りや成果がすぐに現れないと、神はどうされたのだろうと失望しますが、神は味方ということを確信することはどんなに幸いでしょう。反対に神を味方としないことは恐ろしいことです。
さらに5節から9節では具体的な恵みがあります。6、7節では恵みの本質である「主は私の味方」と記者は何度も繰り返して告白しています。第二次大戦のヨーロッパのユダヤ民族へのホロコーストで600万人が犠牲になりました。強制収容所の壁に血で「神は我らを見捨てた」と書かれていて、皆心底苦しみの中でそう思いました。しかし、戦後その犠牲を経て1900年近く流浪していた彼らは約束の地に連れ戻されて主の再臨への備えとして国が再興されました。悪魔がどんなに苦しめようとも神は恵みによりミッション(使命)を民族に、国家に、団体に、個人に与えて確実に成し遂げて下さいます。
8節から9節には「人に信頼するよりも主に身を避けること」が大切とあります。昭和18年に私たちの教団の初代理事長・森五郎牧師が中国上海の教会でユダヤ人を教会の地下室に匿っているとの理由で、スパイ嫌疑と治安維持法違反等で検挙されました。東京に送致されて警視庁で取り調べられ、信仰放棄を迫られましたが拒否しました。その後、巣鴨拘置所へ収監されました。森師が出所した後に戦後占領軍によって同じ所に収監されたのは戦争を遂行して迫害した側の最高責任者の東条英機首相でした。同師はご家族に聖書を暗記していたことが獄中の慰めとなり力となったと告白していました。
「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう」(118・6)とは詩篇の記者の告白だけではなく、現代に生きる私たちの告白でもあります。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。