・・・ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。・・・この戦いは主の戦いだ。・・・」そのペリシテ人は、立ち上がり、ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。・・・ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。・・・(1サムエル17・38〜50)
2011年を新しい恵みが始まる大飛躍元年にしたいのです。そのために、旧約聖書の預言者が、神から特別に選ばれた者に油を注いだように、私たちも主から聖霊の油注ぎを与えられていることを思い起こしましょう。
今日の聖書は、いよいよダビデがペリシテの巨人戦士ゴリヤテとの戦いに臨むところです。力と力の勝負だから、信仰は横に置いてではなく、ダビデは飽くまでも油注がれた信仰者として戦いを挑みます。彼はまだ王様でもなく、軍隊で鍛えられた兵士でもなく、10代の羊飼いでした。ですから、サウル王から与えられた兜をかぶり、剣を持ってみた時も、情けないことに、歩くことすらままならなかったのです。普通に考えれば、そんな少年が、当代随一の世界最強と謳われた戦士と戦えるはずもありません。しかし、彼は戦いに勝利するのです。それはひとえに、主からの油注ぎを働かせたからです。
現代の私たちには、神経をすり減らすようなビジネスの上での戦いや、複雑に絡み合った人間関係のもつれを何とかしたいという悩みに苦しむ戦いがあります。その中で、油注がれた者として、その油注ぎを活かして戦っていきましょう。あなたの上にも神の愛、聖霊は注がれています。大切なのは、自分の信仰を働かせ、それをちゃんと用いることです。目の付け所が三つあります。
1.自分のプライドを意識せず、信仰にこだわる
手に杖を持ち、みすぼらしい着物を着ている羊飼いの少年が、目の前に現われた時、ゴリヤテは「おれは、杖で振り回せば逃げて行くような野良犬みたいなものなのか」と怒りました。ゴリヤテは、「誰も、自分を倒す兵士はいない。自分こそ、世界最強なんだ」という揺るぎないプライドを持っていたのです。それに対し、ダビデは、自分のことをほとんど語らず、むしろ「イスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ」「この戦いは主の戦いだ」と、神の御名をずっと叫び求めていました。ゴリヤテがこだわった小さな自分のプライドに対し、ダビデは主の御名で戦おうとしたのです。
私たちが、勝利を得る秘訣がここにあります。問題の最中にあって、「自分がどんな者か」というプライドの世界ではなく、とことん神を信じる信仰者であるという自分の立場にこだわりましょう。私たちは、クリスチャンだからこそ神の力をいただけるのであり、戦いの中でも勝利を得ることができるのです。
2.剣や槍でなく、神の力で戦う
ゴリヤテは、すごい武装を固めていました。槍も剣も投げ槍も持ち、彼の前には盾持ちまでも付き従い、万全の備えでした。一方、ダビデの武器は、杖と石投げだけでした。でも、その時、ダビデははっきりと「私は、万軍の主の御名によって戦うのだ」と言います。私たちは、目先の物質的な形ある物の力にこだわるのではなく、主の御名を呼び求める時、目に見える世界を超える霊的な力が働くことを知りたいのです。
確かに私たちは病気になると、病院にも行き、薬も飲み、手術もするでしょう。しかし、あなたや私の命は、神からの賜物ですから、「神様、私を癒し、生かし、私の人生に勝利を与えて下さい」と、主の戦いを宣言してまいりましょう。神ご自身からほとばしる勝利の力によって私たちは戦い抜くことができるのです。
3.人任せではなく、緊迫感のある信仰を持つ
ダビデとゴリヤテは、言い争って終わりではありませんでした。言った以上、生きるか死ぬかを選ばなければならない、そういう時代だったのです。
ダビデが放った石はゴリヤテの眉間にめり込み、大巨人は一瞬で倒れました。それは、偶然だったのでしょうか。ダビデは石投げの名手だったのでしょうか。いいえ、ダビデを勝利へと導いたのは、神の油注ぎ以外にありません。彼は、生きるか死ぬかを選ぶべき究極の緊張感の中で、油注ぎを発揮したのです。
あなたの祈りが、本当にあなたの家族を救う。その鍵が、あなたの信仰に懸かっている。そんな緊張感を持って、油注ぎを活かしたいのです。本気モードの時に、信仰によって与えられている力は発揮されます。いつも逃げ腰で、他人任せの人には神の恵みは現わされません。ダビデのように、「主の御名によって戦う、この私に勝利をお与え下さい」と切迫感をもって向き合う者となりたいのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。