宗教学者の山折哲雄氏は、明治・大正期のキリスト教指導者、内村鑑三について、その思想を軸にする進路が、明治維新の段階で国の進路を定める3つの選択肢の1つとしてあったとし、「かつての可能性の1つが、いままばゆい後光を放って浮上している」と内村の思想を再評価する考えを示した。
3日付の産経新聞(電子版)に論評した。
山折氏はそのなかで、明治維新期の日本が福沢諭吉に発する富国強兵、殖産興業の路線を選択したことについて「ベターだったのだろう」と一定の評価を示す一方で、「しかし、今日の目から眺めれば、福沢の路線にも修復しがたいほころびが目立ちはじめていることも否定しがたい」と問題を指摘。ほかの選択肢としてあった内村と柳田国男のそれぞれの思想を軸とした進路に「意外と重要な可能性の種子がまかれていたことにハタと気づく」と論じた。
山折氏は、内村鑑三がキリスト教という精神原理の土台を無視した西洋文明の受容を真っ向から批判していたことと、日本のキリスト教について武士道の理想を実現するものでなければならないと主張していたことを強調し、「その複眼思考と強靱な精神的二枚腰の構えには、本当に驚かされる」と述べた。