イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。・・・主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。・・・その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」・・・「見よ、処女がみごもっている。そして、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」・・・(マタイ1:18〜25)
今日の聖書は、ヨセフとマリヤのところに神の御使いが現われ、イエスが誕生したクリスマスの物語です。この中に忘れてはならない、信仰のエッセンスがあります。物語というものは、枝葉の部分よりも中心の部分をグッと引き出すことが大切です。幼稚園などで演じられる聖誕劇でクリスマスの物語はわかっていても、それだけで終わらせてはいけません。教会で私たちがクリスマスの物語を味わう時、そこに現わされるイエスの恵みをしっかりといただきたいのです。その中で、特に重要な三つの要素があります。
1.聖霊によるイエスの誕生
処女マリヤからイエスが誕生したことを、私たちは言葉の表現としては知っています。しかし、なぜ、そんなことが可能になったのでしょうか。それは、聖霊―神の清い霊によるのだと、聖書ははっきりと語っています。
しかし、私たちは、男女の性的な結びつきがなければ、命は誕生しないという当然の理屈を知っています。けれども、人類の長い歴史の中で、たったお一人だけ、全く違う命を体験し、その上で人となって下さったお方がいらっしゃる。それがイエス・キリストなのです。自分の許婚の女性が妊娠し、当然、ヨセフは色々と思い巡らしたでしょう。何かマリヤが間違ったことをしてしまったのか、だからこそ、離縁しようとも考えたのですが、神の御使いは夢の中に現われ、「恐れないで、あなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは、聖霊によるのです」と語って下さったのです。
クリスマスの物語は何を意味しているのでしょうか。それは、決まり切ったことしか起こらない平べったいこの世の中に、神がご自身の清い聖霊によって直接働きかけ、関わって下さったことを意味しています。そして、御子イエス・キリストの誕生により、私たちは命を与えられただけでほったらかしにされたのではなく、御霊の介入により、神との結びつきを直接体験できる者とされたのです。人間社会の常識だけの世界とは違い、神の霊が働く霊的な世界が、神によって動き始めたのです。
また、クリスマスの物語を通してイエス・キリストと出会うと、なぜ、私たちの生活が豊かで幸せになり、喜びで満ち溢れるのでしょうか。それは、自然科学の法則だけが支配する世界に私たちが生きているのではなく、神の霊が働く霊的次元が加わって、神の愛を原因とし、私たちの生活の中に様々な祝福や恵み、救いや癒し、奇跡さえも起こるからです。
ヨセフとマリヤに対し「マリヤが身重になっているのは、聖霊によるのです」と御使いは語りましたが、それは単に二人だけに語られた言葉ではなく、イエス・キリストを信じる私たちにも同じように聖霊による働きがあることを示すものです。このことを本当に感謝したいのです。
2.事実となった救い主イエスの誕生
聖書は語っています。確かに処女であるマリヤが聖霊により妊娠したこと、そして事実男の子が生まれ、イエスと名付けたこと。そこには、結婚前の女性が妊娠するという、当事者でなければ知り得ない、苦しみや複雑な事柄が実際に起こったのです。それを公言できたのは、本当に救い主であるイエスが聖霊によって生まれるという事実が起こったからです。
聖書の物語は、神話や宗教とは違います。確かに神の御子イエス・キリストは人としてお生まれ下さったという事実に基づいているのです。
3.全ての人間を罪から救われるイエス・キリスト
御使いは、「マリヤが産む男の子こそ、ご自分の民をその罪から救って下さる方です」とヨセフに告げました。
キリストがいなければ、私たちは嘘や偽り、ごまかしや悩み、妬み、自分を愛せない劣等感、人に対する恨み、失望感、絶望感、そのような中で生きるしかないでしょう。でも、キリストが来て下さったことによって、私たちは罪や悪の力から完璧に清められ、神の恵みによって歩むことができる新しい命が与えられるのです。全ての人々を罪や悪の力から救い出して下さる。これが、イエス・キリストの誕生の中に含まれている約束なのです。
そして、キリストは、常に私たちひとりひとりと共にいて下さるインマヌエルの神である、と聖書は語っています。クリスマスを喜び、イエス・キリストを、今日も私たちと共にいて下さる救い主として受け入れようではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。