またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「・・・神のわざがこの人に現われるためです。」イエスはこう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアムの池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。(ヨハネ9:1〜7)
クリスマスは、イエスのご誕生を祝う時ですが、世の中のクリスマスの中に、イエス・キリストがおられないのは大問題です。キリスト抜きのクリスマスは本物ではありません。
今日の聖書で、イエスと弟子たちが旅をしている時、イエスに祈って癒してもらいたいという人がたくさん集ってきたのですが、その中に、生まれつき目の見えない人がいました。その人を連れて来た人々と話をしているうちに、弟子たちがイエスにこう尋ねたのです。「先生。この人が生まれた時から目が見えないのは、この人のせいですか。それとも親のせいですか。それとも、さらに遡って、先祖たちが何か罰当たりなことをしたからですか」
私たち人間は、頭で理解できない不幸や不運があると、宿命だとか、罰当たりなことが起こったとか、そんなことを考えて怯えてしまいます。古今東西、人間という者は弱くて、同じような不安に襲われるのです。不幸の中に陥り、つまらぬ原因探しをし、不幸の理由付けをし、それでも幸せになれないことで諦め、投げ出し、人生に絶望してしまいます。しかしその中に、救い主イエス・キリストが入って下さる。すると癒されるはずのない病が癒され、闇の中に閉じ込められていた人生に、救いの道が開かれ、幸せが訪れます。
クリスマスを喜ぶ理由は、イエス・キリストがこの世に来られたことで、この世の持っている闇や悪や罪の力が取り払われ、イエス・キリストが私たちの人生や心の中にも入って下さり、私たちもまた、闇を取り除かれ、不幸な生き方から、感謝と幸せのある人生へと導き入れられるからです。この喜びを私たちは、自分のものとしてまいりましょう。この箇所を学びながら、二つのことを心に刻みつけたいのです。
1.呪いやたたりを吹き飛ばされる主
主イエスは、単なる律法の教師や、単に自分だけが悟りを開いた偉い宗教家ではありません。イエスはもっと偉大なお方です。
イエスが、神の御業を宣言された時、何十年も見えなかった人の目が途端に癒されました。イエスがご自分の唾で泥を作って彼の目に塗り、「シロアムの池に行って、洗いなさい」と言われたとおり彼が泥を洗い流すと、たちまち見えるようになったのです。何十年も闇しか見えなかった、彼の目が、光を見るようになったのです。
ここで現わされているイエスの力は、この人が悩んだ不幸の原因より、段違いに強い力なのです。私たちは、ああだ、こうだと自分の人生を振り返り、落ち込んで絶望することもあるかもしれませんが、イエスが来て下さった時、イエスによって現われる神の力は、レベルが違うのです。「赤子の手をひねるように」という言葉のように、呪いやたたりは問題にならず、一瞬で吹き飛ばされるのです。
今日、癒しを祈りたいのですが、いつの間にか、あなたが癒しを求めながらも、「この病気は私の宿命みたいなもので、治らない」とか、お医者さんから「一生付き合わなければいけない病気ですね」とか、そんな言葉や思いによって、まるで呪いかたたりのようにあなたの心が縛られていないか、注意が必要です。どんなに説得力のある不幸の原因が山ほどあっても、イエスが現われると、すべて吹き飛ばされるのです。イエスとの出会いには、その力があるのです。
2.神と共にある新しい人生が始まる
彼が見えるようになり、元いた場所に戻ると、戸惑ったのは周囲の人でした。目が開かれ、喜びに満たされた彼の表情は今までと全く違い、似ているけれども別人だと言う人もいました。けれども、当の本人は言います。「イエス様が出会って下さって、私の人生は変わりました」
クリスマスに、救い主であるイエス・キリストは、あなたと出会うために、この世に来て下さいました。そして、キリストが生まれつきの盲人と出会ったように、私たちひとりひとりとも確かに出会って下さるのです。その時、ご自分の救いと癒しの力によって、私たちが背負い込み、引きずっているどんな呪いやたたりであろうと、あっという間に吹き飛ばされ、諦めや絶望から解放されるのです。イエスが与えて下さるのは、単なる病気の治療や、痛みからの回復ではありません。癒しとともに、神が共にいて下さる信仰の歩みが始まるのです。神と共に歩む新しい次元の霊的な世界が開かれます。この恵みをはっきりと受け止めましょう。あなたの病は癒され、あなたの人生は変えられていきます。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。