・・・すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テトス2:11〜14)
キリスト教は、単に、世の中にあるいくつもの宗教の一つではありません。たった一つしかない本物の事実に基づいて、私たちは神を信じています。本当の事実、本物の持つ迫力というものを大切にしたいのです。
世の中が進むほど、新しい宗教や宗教団体はいくつでも生み出されます。でも、そんな人の想像力や空想、理屈が生み出した宗教ではなく、紛れもない事実、本物に土台を置く信仰を、私たちは与えられているのです。言うまでもない私たちの救い主イエスです。あなたの信仰が、単なる宗教心や、ただ、やたらに「神様、仏様」と言う、教会に来る前の適当に困った時の神頼みをしていたような感覚の宗教から、今はちゃんと救い主イエスに向き合う生きた信仰へと成長していることを、もう一度確認して下さい。
いつまでも、ただ「困った時の神頼み」で終わるのではなくて、あなたには変わることのない救い主イエスがいて下さる、そんな本物の信仰が働いていますように。本当の信仰が機能する真の教会生活、信仰生活でありますように。圧倒的な本物の迫力のある信仰を確認するために、二つのことを受け止めておきたいのです。
1.事実となった神からの救いの道
キリスト教は、真面目に生きていれば、そのうち何かいいことがあるかもしれないというような、あやふやな宗教心に頼る信仰とは違います。
今日の聖書箇所にも、はっきりと、「すべての人を救う神の恵みが現われた」と記されています。二千年前、神の御子イエス・キリストが救い主としてお生まれ下さり、この世に降り、私たちと接点を持って、私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んで下さり、救いの御業を成就し、神の御業を実現して下さったからこそ、私やあなたの救いの道は開かれました。神から私たちに与えられる救いの道は、すでに事実となっています。
だから、悪魔にごまかされて罪や悪の世界に生き、不真面目で人を傷つけ嘘をつきごまかし、捕まらなければいい、わからなければいいと自分の欲望のまま汚い生き方をし、魂を滅ぼしてしまうのか、それとも、神に喜ばれ、神の前に本当に正しく清められた生き方をするのか、その二つに一つの生き方がはっきりと分かれており、二つに一つの生き方を私たちは選べるようになったのです。
そして、私たちが当然選ぶべきは、神によって祝福された希望のある生き方、それも天の御国に続く永遠の命の希望、一言で言えば、死んでも大丈夫、「死」という誰にとっても最大の恐れや不安、絶望を含んだ大きな敵が立ちふさがっても、恐れる必要がない救いの道なのです。このことがすでに事実となっていることをはっきりと知りたいのです。私たちは、人としてどう生きるのか、その答えは出ているのです。このことを、はっきりとつかみたいのです。
だから聖餐式で、イエスの御体であるパンと、血潮であるぶどう酒をいただくことによって、イエスの救いがすでに事実となっているということを確認するのです。
あなたの人生も祝福されます。そのために、すでに事実となった神の救いの道を選び取ろうではありませんか。
2.救われた事実とされる私たちの生活
イエスがこの世にお生まれになり、十字架の上で私たちのために死なれた事実は、私たちをすべての罪から救い出し、ご自分の民である私たちを、ご自分のために清め、整えるためでした、と聖書は語っています。私たちが罪から離れて、神のために神の御心を行なうように、素晴らしい力強い生き方をするために、本当に私たちは清められ、整えられていくのです。
だから、イエスによって救われたことは、ただ、イエスの十字架の死が二千年前の事実で終わるのではなく、もう一つの事実として、2010年を生きているあなたの生活の中でも事実となっていくのです。あなた自身も、事実、変えられて、成長していくのです。
このように、私たちの信仰生活の中には、見逃してはならない、大きな二つの事実があるのです。クリスチャンの信仰生活は単なる「絵に描いた餅」ではありません。この事実のもたらす否定できない重みや、本物だからこその圧倒的な迫力を意識して、この月も歩んでまいりましょう。イエスが私たちと一緒にいて下さり、昔の自分とはもう違う、完成した姿にはほど遠いけれど、一日ごとに変えられ成長している、そういう私たちでありたいのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。