キリスト教学校教育同盟(野本真也理事長)は発足100周年を記念し、11月23日午前10時半から、立教大学タッカーホールで記念式典を開催する。午後1時半からは記念シンポジウムも行う。参加者には記念品として「キリスト教学校教育同盟百年史年表」などを配布する。
同団体結成の動きは1899(明治32)年、宗教教育の禁止を定めた「文部省訓令第12号」の発令を契機に始まった。キリスト教教育を続ければ各種学校の扱いとなるため、上級学校への進学や徴兵猶予の特典を失ってしまう。それでも各キリスト教学校は密接な連絡を取り合い、その特典を捨ててもキリスト教教育を守ることに徹していた。
一方で青山学院長(当時)の本多庸一、明治学院長(当時)の井深梶之助らが、文部省に訓令の撤回や適用除外の運動を続けた。その結果、1901(明治34)年、キリスト教教育を続けても上級学校への進学や懲役猶予の特典が受けられるようになった。
このときの学校間の協力をきっかけに1910年、男子校10数校が「基督教教育同盟会」を組織し、第1回総会を同志社で開催した。初代会長は同志社総長(当時)の原田助。最初に制定した規約の目的にある「本会ノ目的ハ基督教主義学校ニ共通ナル諸問題ヲ研究シ其ノ進歩発展ヲ計リ必要ノ場合ニハ共同ノ行動ヲ執ルニアリ」の一文には、訓令発令の中で各学校が協力し、国の圧迫にともに抵抗した姿勢が示されている。
訓令発令を契機にキリスト教女子校も結束し、1913(大正2)年、全国から20数校が「女子基督教教育会」を組織。会長には捜真女学校長(当時)のミスカンバースが就任した。
1922年には基督教教育同盟会と女子基督教教育会の合同が成立。加盟校数は63校となった。名称は男子校の「基督教教育同盟会」を継承し、会長には聖学院長(当時)の石川角次郎が就任した。この組織が現在の「キリスト教学校教育同盟」となった。
第2次世界大戦時には政府からの強い干渉を受け、加盟校も63校から52校に減少した。だが、残った学校は軍や文部省の圧迫の中で礼拝を守り、聖書の授業を行った。
戦後は、戦時中に脱会した学校の復帰や新加盟校もあり、加盟校数は52校から69校に。1971(昭和46)年には「財団法人キリスト教学校教育同盟維持財団」の設立が認可され、名称を「キリスト教学校教育同盟」に改称。4地区協議会の設置や、教育研究委員会、広報委員会などの組織を整備した。その後も成長を続け、加盟校は現在97学校法人となっている。
記念式典で配布される「キリスト教学校教育同盟百年史年表」は、現在編纂作業が行われている「キリスト教学校教育同盟百年史」三部作(「通史編」「資料編」「年表」)から先行出版するもの。「通史編」「資料編」は来年度の完成を目指している。
記念シンポジウムでは、「キリスト教学校教育同盟の回顧と展望」を主題に掲げ、前青山学院院長でクラーク学園理事長の深町正信氏、前関西学院理事長の山内一郎氏、明治学院学院長の久世了氏がそれぞれ発題する。司会は、同理事長の野本氏。