信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)
有名な精神学者ルイス・ビッシュ博士が、次のように言っています。
「努めて、物事にくよくよと心配しない習慣を、身につけなければならない。人がどう思っているだろうか、というようなことで頭を悩ますなどは、愚かなことである。いつも物事を明るく考える習慣をつけると、人から可愛がられると同時に、万事物事を善意に解釈できるようになる。」
取り越し苦労が多いと、人相まで悪くなります。一生懸命に努力は続けなければなりませんが、今日一日の失敗をそんなに気にしてはいけません。
今日一日で、物事に成功することができるわけでもなければ、今日一日で、すべてが破滅するものでもないのです。
リンカーンは、「私の大きな関心事は、諸君が失敗したかどうかということにあるのではなくて、その失敗に安んじているかどうかという点にある」と言いました。
トーマス・エジソンも、白熱電球を発明するまでには、数え切れないほど多くの失敗を重ねたのです。エジソンは一回失敗するごとに、それだけ成功に一歩一歩近づいているのだと、いつも心に言い聞かせていたのです。
最後に成功すれば、初めの失敗などは問題にならないのです。前進することが非常に困難でしょうか。その困難に打ち勝って前進し続けていくことが、成功と勝利へつながるのです。来る日も来る日も、絶えず前進を続けていけば、必ず成功します。前進し続ければ、今日、実行不可能と思われることでも、必ず近い将来に、それを達成する方法が見つかるのです。
コロンブスが西に向かって航海を続けた時の日誌に、記したことばがあります。海図さえない大西洋上で、危険、嵐、飢え、反乱、そして疲労に苦しみながらも、そのピンタ号の航海日誌には、不滅のことばが残されているのです。「本日も航行を続けた」なんとすばらしいことでしょうか。
イエス・キリストのことばをご紹介しましょう。
だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。(ルカ13:33)
イエス・キリストはどこへ向かって、進んで行かれたのでしょうか。十字架に向かってでした。エルサレムへ行けば、捕らえられ、十字架につけられ、殺されることはわかっていたのです。しかし、主はその道こそ、人類を救う唯一の道であることを知っておられたのです。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11)
だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。(ヨハネ10:18)
そして、主イエス・キリストは十字架上に生命を捨て、人類の身代わりとなり、血を流されたのです。その結果、イエス・キリストを信じる者は救われるのです。罪が赦され、病気がいやされ、すべてののろいから解放されます。神の子となり、永遠のいのちが与えられ、喜びと平安にあふれた希望の人生を生きることができるのです。
コロンブスが大西洋上で、危険、嵐、飢え、反乱、そして疲労に苦しみ、途中で引き返したら、アメリカ大陸の発見はうんと遅れたことでしょう。
イエス・キリストが十字架上で死ななかったら、全人類の救い、あなたや私の救い、幸福はなかったでしょう。
また、あなたが人生の途中で、あきらめ投げ出すなら、あなたの明日の成功も幸せもないでしょう。
コロンブスがその航海日誌に書き残したように、私たちも、「本日も航海を続けた」と告白しようではありませんか。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。