今年の夏は連日30℃を超える猛烈な暑さが続いていて、皆さんも何より健康を優先して過ごされていることと思います。いつもならエアコンを付けずに過ごせていた私も今年の夏は、Die Tugend der Geduld「忍耐という美徳」は捨てて、日々の暑さをしのいでいます。
マスコミによると、近頃歴史を愛する女性が増えているようです。この彼女たちの愛情の対象となっているのは歴史と言うよりも、むしろ戦国時代などに登場する人物らしいのです。このような女性は、総称して「歴女」と呼ばれているそうです。
今年の大河ドラマが、坂本龍馬の生き様をテーマにしていることもあって、今改めて龍馬ブームが起こっています。過去に実在していた人物が、大きく歴史を動かす話は、大変興味深いものです。特に幕末は、この「近世」から受け継いだ思想の多くが「現代」に生かされている部分もあるので、とても身近なことに感じられます。
この坂本龍馬と同時代に岩崎弥太郎という人がいました。もちろん三菱財閥のDer Gruender「創始者」として有名な人物です。岩崎家は神奈川県の大磯に別邸を構えていました。けれどもこの土地と建物は、財閥解体と共に財産税として、しばらくの間物納されていました。この別邸を自分の持ち物を売り払い、そして募金を集めて買い戻し、孤児院を設立したのが沢田美喜さんでした。
沢田美喜さんはエリザベス・サンダース・ホームの設立者であり、また岩崎弥太郎の孫娘でもありました。沢田美喜さんは外交官で夫の沢田廉三さんと共にその信仰生活を、確かなものにして行きました。
終戦直後、外国人と日本人を両親に持つと思われる嬰児の遺体が捨てられていたのを、彼女は度々目の当たりにして心を痛めていました。そんな中一人で列車に乗っていた時のことでした。網棚に風呂敷包みがあったので、警察がその中身を確認しようと開けてみると、中からは黒い肌の嬰児の遺体が出てきたのです。そしてちょうどその下の座席に座っていた為に、その赤ちゃんが彼女の捨てた子供であると言う疑いをかけられてしまうのです。彼女は周りの乗客に向かって「この中にどなたかお医者様がいらしたら、私が赤ちゃんを産んだばかりの体かどうかどうか調べて下さい。」ときっぱり。結局は、近くにいた乗客の証言のおかげで、その場での疑いは晴れたのです。
エリザベス・サンダース・ホームを建てるにあたっては、財政面以外でも多くの困難な問題を抱えていました。お金を集める為に日本国中、東へ西へと駆け回りましたが思うように集まらず、最後はアメリカへ5000通もの寄付の依頼の文章を書いて出したそうです。そして開園してから半年後、15000ドルの寄付がアメリカから届いたそうです。
善意からのこの行為も当時の人々からは、「財閥娘の道楽」などと思いもよらない声を掛けられていたのです。そしてアメリカの軍部は、この子どもたちを一か所にまとめず目立たないように、分散させておきたかったのです。その一方で日本政府は、このような子どもたちは、アメリカが日本を占領する作戦の一部であると考えたのでした。
しかしそのような冷たい世間の視線に耐えながらも、彼女はこの孤児たちの「母親」になって行ったのです。さすが「女弥太郎」!すばらしい「はちきん」(土佐弁で男勝りの女性のこと)だったのです。
彼女は子供たちが周りの人たちの好奇の目にさらされないように、学校を同じ敷地内に建てて教育を行っていました。そして子供たちが成長してこのホームを旅立って行った後も、自信を持って生きて行くことが出来るように育てたのです。
この「ママちゃま」(沢田美喜さんのことを子供たちがこう呼んでいました)の厳しくて温かい愛こそ本当のDie Liebe「愛」である、ということを強く教えられました。
愛は自分の都合で行うことではなく、相手のことを強く思って行うことなのです。愛は感情に流されるものではなく、理性によってその行いがなされます。そして愛には責任が伴います。マザー・テレサが言っていた通りに、愛とは誰かに対しての好き嫌いではないのです。
ヨハネの手紙第一の4章にはこう記されています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」本当に隣人を愛することが出来たとき、はじめて私たちは神様を知っているとはっきり言えるのです。
【by Tokyoterin - 東京在住の女性クリスチャン】