桜美林大学(obirin Univ.)の元人気講師、申鉉錫(シン・ヒョンソク)牧師のコラム第15回目です。 このコラムは、韓国オーマイニュース(http://ohmynews.com/)に掲載され、当時大きな反響を呼びました。在日韓国人牧師という立場から、同師が日本宣教への夢を語ります。
◆はじめに
近年、韓国の教会が日本宣教に非常な関心を持ち、積極的に関わって来ていることは、日本で宣教している者にとっては大いなる朗報である。朗報というのは、大勢の宣教師・伝道者が日本宣教のために日本に来ているということである。だが日本宣教の難しさもあって、日本宣教に躓く人々も大勢出ている。ほとんどの宣教師・伝道者が韓国人相手に伝道を展開するので、前にも述べたことがあるが、在日の韓国教会は大きな変動の中に立っていて、一部の大きな教会を除いては苦戦を強いられているのが現状である。従って我々は共に日本宣教を阻む要因はなにかを真剣に考えなければならない。
◆1.情報伝達の誤謬
筆者は、大勢の伝道者が日本宣教に躓く原因は一体何であるかについて、今真剣に考えている。これという解決策があるわけではないが、以下に筆者なりの考えをまとめてみる。
一つは、伝道者の日本に対する情報把握の誤謬であると思う。
現在日本には大勢の伝道者が日本宣教に携わっていて、それぞれの経験に基づいて、日本宣教の情報を韓国へ発信している。その中には不正確な情報もたくさん含まれているので、日本宣教に志を燃やしている伝道者はその情報の内容をよく検討して正確な情報を掴んできてほしい。従って不正確な情報を流して伝道者を躓かせる者は、神の前でその責を負うことになろう。
一つの例を挙げよう。
最近筆者の知り合いの宣教師が、韓国と日本で同時に発行されるキリスト教生活情報誌に、日本宣教に関する論文を掲載していたので、関心を持って読ませていただいた。読後の感想としては、論者の日本宣教に対する熱心と意気込みは素晴らしかった。今後も持ち続けてほしい。
しかし、「日本の宣教」に対する誤った認識を持って、日本の教会を紹介していることには大いに疑問がある。次に論者の論文を要約して、その要点を批判的に検討することにする。
c[1] 日本の教会は、教会観が弱い。
c[2] 日本の教会は、閉鎖的な信仰を持っている。
c[3] 日本の教会は、天皇制による社会下にあり、宣教に躓きがある。
c[4] 日本の教会は、キリスト論が弱い。
c[5] 日本の教会は、礼拝論が弱い。
以上は論文の要点だが、日本の教会の認識としてはあまりにも不正確で粗末である。
その理由はc[3]を除いて、他のすべての論旨には同意することは出来ない。なぜならば、これらの指摘は日本の教会に属する信徒個々人には当てはめることが出来るとしても、これらのすべてを教会に当てはめることには無理があるからである。もし日本の教職または信徒がこの文章を韓国語で読むことが出来たとしたら、見過ごせないだろう。
日本の教会の輝かしい歴史と伝統から見るならば、このような見方はことわざにあるように、「木をみて森を見ず」の片寄った見方である。
次に問題になるのは、韓国にいる読者が読んだ場合である。すべての言葉は文章化されれば拘束力を持つことになる。誤った情報を元にして、日本宣教のために来日した宣教師・伝道者が、日本の教会と連帯して働く時、その誤った情報が元になって思わぬ誤解を招き、トラブルが起こるとすれば大問題である。このことについては「日本宣教の夢」13回を参照してほしい。
◆2.宣教者の誠実さと使命の問題
今から数ヶ月前、ある人の紹介で韓国から来られた牧師に会うことが出来た。牧師は韓国のある教団に属していて無任所牧師であった。要件は日本宣教の夢があって来日したいのだが、visaをとる方法がないので筆者に力になってほしいということであった。筆者は牧師に日本宣教を志す理由を尋ねたところ、筆者の同意を得るほどの堅い決意を述べられたので、いくつかの条件を付けて紹介することにした。それは、c[1]日本人を対象として宣教すること。c[2]嘘、偽りのない誠実さを持って約束を果たすことであった。そしてある人に紹介して、牧師は数ヶ月後に来日した。
牧師は日本に住んでいる親戚を伴ってある教会へ出席し、それからその教会にしばらくの間留まるようになった。出席している教会は牧師が転任していて、教団から派遣された臨時牧師が代務を執っていた。臨時牧師は信徒の信頼を受け、正式な牧師として就任することが決まった。ところが、何の問題もないはずの教会に問題が起った。その原因は韓国から来られた牧師にあった。信徒の中から、韓国から来られた牧師を支持するひとが現れて争いになったからである。韓国から来られた牧師が、筆者と約束したことに従ってその教会から身を引くべきであったのにもかかわらず、その教会に留まろうとしたため、教会は分裂してしまった。結局当の牧師は親戚を含めて数人の支持者と共に出て行った。もともと信徒の少なかった教会は、分裂によってなお数が少なくなり、教会としての機能は麻痺状態となって、主の栄光は地に落ちたのである。
牧師は日本人を対象にして宣教すべきであるのに志を翻して、神と人を裏切った。
筆者が上記の事件をかなり詳細に書いたのは、このようなことが頻繁に起こっていることに対する憤りと、牧師としての誠実さが地に落ちてしまわないためである。
「むしろ自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」 聖書(コリント第一手紙9章27節)
◆おわりに
上述したように韓国の教会は、日本と日本の教会に助けになるような牧師、つまり日本宣教に対する情熱と誠実さを持った宣教師・伝道者を日本の教会のパートナーとして送ってほしいのである。そうすれば日本の教会は心あたたかく迎え入れてくれるであろう。