・・・イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、・・・ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた・・・。(ルカ5:17〜26)
23歳の母親が、3才と1才の子どもを自宅アパートに置き去りにし、見殺しにした事件が起こりました。どんな人でも、人間として持っている愛情の力には限界があります。だから、私たちは、愛の根源である神に目を向け、信じるべきことを肝に銘じてまいりましょう。イエス抜きでは、愛情であれ、命であれ、限りあるものになってしまい、わがままで罪深い結果しか生み出すことができません。一番怖いのは、私たち自身の内側にも恐ろしい罪があることです。自分の罪を、ごまかしたり正当化したりせず、神の御前に立ち、自分の罪深さを素直に認め、赦していただき、キリストの愛を与えられてまいりましょう。
今日開いた聖書は、イエスが、神からの御力によって、病いに苦しむ人々を癒しておられた時の物語です。歩くことも、身体を動かすこともできないひとりの中風の男が、寝床に寝かされたまま、友人たちに連れて来られました。しかし、イエスの周りには大勢の人が集まっていたので、近づくことができません。友人たちは、他に方法が見つからず、家の屋上に上り、屋根の瓦をはがし、そこから寝床のまま男をつり降ろしたのです。その時、イエスは、単に、中風の男を癒しただけでなく、男たちの大胆な信仰を見て、「あなたの罪は赦されました」と言われました。そして、そのイエスの御言葉に、聖書の専門家である律法学者たちは、騒ぎ始めたのです。
このイエスの癒しの御業には、特別な意味がありました。二つの意味を、共に学びたいと思います。
1.人間には、人の罪を赦す権威がない
実は、律法学者やパリサイ人が「神以外に、誰も罪を赦すことなどできない」と言ったことは、正しいことなのです。人の心の奥に染みついた罪を赦すことができる人間など、いないのです。律法学者たちは、そのことを盾に取り、「あなたの罪は赦されました」と言ったイエスを裁き始めたのでした。
今の時代、科学が進歩し、不可能と思われていた多くのことが可能になりましたが、人間には、どうしてもできないことや、乗り越えられない壁があるのです。どんなに表面上良い人に見えても、人の心の奥底にある罪を洗い清めたり、赦したりすることは不可能です。もちろん、自分で自分の罪を取り除くこともできません。
聖書が、「義人はいない。ひとりもいない」と語っているように、自分は清く正しい、完璧だ、と言える人はひとりもいないのです。人間が解決することのできない最大の難問がここにあります。しかし、聖書の中には人間の限界を超えた約束が示されているのです。
2.イエス・キリストのみが罪を赦す権威を持つ
イエスは、律法学者たちが、理屈を言っていることを見抜いておられました。そして、イエスご自身が、地上で罪を赦す権威を持っていることを理解させるために、より簡単なことで、それを示そうと、身体をピクリとも動かすことのできない中風の男に「起きなさい」と命じました。すると、その瞬間、男は、人々の前で立ち上がり、寝床を取り上げたのです。人々は、イエスの御言葉は真実で偉大な力があると認めざるを得ませんでした。
神は、人間を愛し、救うことを求めておられます。しかし、人間は罪に汚れて、神を見ることも、救いをいただくこともできないのです。そのジレンマを解決するために送られてきたのが救い主イエス・キリストなのです。世界で誰も持たない罪を赦す権威を、キリストは持っていました。本当は、私たちが背負わなければいけない罪の罰を、イエスが身代わりに背負って死んで下さったからこそ、私たちは神に裁かれて死ぬ運命ではなく、喜びと平安に満ちた人生を歩み、永遠の命をいただくことができるのです。イエスは、十字架の死という、私たちにとってわかりやすい方法で、神の愛を証明して下さいました。私たちの罪が、どれほど恐ろしく、罪のない神の御子の死に値するほど重いことを、キリストは身をもって示されたのです。
イエスによって罪赦されたあなたには、癒しや健康、家族の祝福や仕事の大成功、充実した生きがいのある人生が待っています。罪を洗い清めていただき、主イエスの十字架によって、神の愛に生きることは、本当に幸せなことです。この夏、身体が元気であるだけでなく、魂にも恵みをいただき、救われていることを確かなものとして歩んでまいりましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。