皆さんは幼い頃に歌い慣れ親しんだ、あの童謡「シャボン玉とんだ」や「むすんでひらいて」がもともとは讃美歌であったことをご存知だろうか。一昔前の方ならこのメロディーを聴いて、ああ「主われを愛す」でしょ、とか「わがおほみかみよ」だよと言う人もいるかもしれない。その時代を辿ってみると、大人から子どもへと歌い継がれてきた童謡の原点は明治時代にまで遡る。
その当時1873(昭和6)年、明治政府が切支丹禁止の高札を撤去すると同時に、海外から日本へと宣教師たちが一気に流れ込み、讃美歌を用いて活発な宣教活動を始める。その後、日本でキリスト教宣教が許されてから30年、プロテスタント5教派(組合教会・日本基督教会・メソジスト教会・浸礼教会・基督教会)が初めて合同で出版した讃美歌集が明治36年版であった。ここには確かに前述した歌がれっきとした讃美歌として記録されているのだ。
やがて讃美歌から日本にも西洋音楽が徐々に受け入れられるようになり、聖公会の信者であった滝廉太郎や幼い頃より宣教師である義兄ガントレットから音楽の手ほどきを受けた山田耕筰など、讃美歌に親しんでいた者の中から多くの日本歌曲の先駆者が生まれることになるのである。音楽を歌いたければ、讃美歌やキリスト教に近づかざるを得ない時代であった。わが国日本の洋楽の歴史は、明治初期に宣教師たちによって持ち込まれた「キリスト教・讃美歌・オルガン」を抜きにしては語れない。
この明治版讃美歌を今の時代に甦らせ、また日本語の美しさを再確認しようと、日本歌曲の黄金コンビと称されるソプラノ歌手・関定子とリードオルガン伴奏の塚田佳男による『関定子ソプラノコンサート〜明治版讃美歌・珠玉集〜』が6日、7日の二日間午後7時より、東京オペラシティ内の近江楽堂で開催された。
プログラムは、1)讃美歌明治36年版からだけ選ぶ、2)ドイツ・コラール風のものは避ける、3)唱歌になったものは選ばない(「わがおほみかみよ」を除く)、4)できるだけ讃美歌らしい旋律のものを集める、など選曲にとことんこだわり、演奏や歌詞も当時のものを再現するために細心の心くばりがなされた。「あまつみくには」、「主よみもとにちかづかん」、「主われを愛す」、「かみともにいまして」、「もろびとこぞりて」など、今も歌われているものから今とは歌詞が違うもの、今では歌われなくなったものまで、関はこれら選りすぐりの20曲を3部に分け、約2時間にかけて大胆に抒情詩的に歌い上げた。連日満席となった会場約120人は、天井高く響く聖なる歌詞とその美しい歌声に耳を澄まし、各部が終わるたびに大きな拍手が沸き起こった。また最後のアンコールでは、コンサート中に歌われた「たふときわが友」を親しみのある現行の歌詞に代えた「いつくしみふかき」を会場の観客とともに声を揃えて合唱した。
自身聖公会の信徒でもあり、主催の恵雅堂出版株式会社・副社長の麻田恭一氏はこのように語った。「今回、洋楽や唱歌の根となった讃美歌が信仰の証としてではなく、歌曲として鑑賞に耐えうるものかどうかを試してみたかった。またもう一つは、讃美歌は生きているということ。日本の讃美歌の始まりといえる当時の明治版讃美歌の素晴らしさを伝えようとして始まったことですが、結論は全く逆のところにありました。讃美歌は確実に時代に磨かれて、歌いやすく覚えやすいように次々に新しいものができていきました。ですから今ある讃美歌がまさに今の時代に歌われるべき讃美歌なのです。」
讃美歌は宣教手段である。覚え易く歌い易いことを優先され、歌詞や楽譜の変更には寛容で、民謡や歌曲からもたくさんの讃美歌が作られてきた。だから同詞異曲や異詞同曲のものも少なくない。こなれない訳詞には手が加えられ、歌いにくいものは讃美歌集から淘汰され、あるいはそれに代わるものが補充されてきた。そのようにして、いつの時代も讃美歌はわれわれの生活とともにあった。しかし「現代は著作権の確立とともに讃美歌の持つこの“生命力”が失われつつある」と麻田氏は語る。日本の歴史の中で讃美歌が果たしてきた役割は、次第に人々の記憶から消されていく。
「私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。
私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。
それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。
それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。」(詩篇78:1−4)
日本の美しい伝統やそこに現された主の栄光と御業、またそれとは反対に日本の犯した過ちや戦争の痛み・悲しみなど、先の者には後の世代へと語り継がなければならないことがたくさんある。またその責任もある。そして、それを受け取った一人ひとりが過去の一つひとつの出来事を確かめ理解しながら、また新しい時代に新しい賛美を紡ぎ出していく。その繰り返しがただの繰り返しで終わるのではなく、確かに主の御国へと繋がっていく一筋の道を開いていくのだろう。
今回、歌を披露した関は、ドラマティック・コロラトゥーラという幅広い声域を生かし、オペラから外国・日本歌曲・はやりうたまでジャンルを問わず歌を堪能させるテクニシャン。ヨーロッパを中心に世界で数々の賞を受賞し、94年カーネギーホールでのリサイタルも大成功を収める。93、94年にリリースのCD「山田耕筰歌曲集」では、一人で100曲を収録するという快挙を成し遂げ、94年度レコード・アカデミー賞(日本人演奏部門)を受賞している。また、伴奏の塚田佳男は、日本歌曲の研究・解釈・伴奏においては現在、右に出る者なしといわれているピアニスト。94年、ニューヨーク・カーネギーホールでの関定子リサイタルにおける見事な演奏は、現地の評価においても「完成され切った芸術家」と絶賛された。現在は、合唱指揮やナレーター、ピアニスト育成、日本歌曲のコンサート企画など、豊富な音楽性を生かし様々な分野で活躍している。