するとイエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことにまことにあなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければそれは一つのままです。しかし、もし死ねば豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至ります。(ヨハネ12:24〜25)
昔、松本清張の『黒い十字架』という本を読んだことがあります。その本をもし、そのまま信じて読む人があるならキリスト教会なんか見向きもしなくなるかも知れません。それは一人のベルギー人でカトリック教会の宣教師であった人が、一人の日本人スチュワーデスと親しい仲となり、ある事情で殺したとの疑いがかけられ、警視庁による逮捕は時間の問題として騒がれた事件を題材にしたものでした。この時、ローマ教皇はその神父を本国へ召喚してしまい、事件はうやむや霧の中に包まれる結果に終わったものです。松本清張はこの事実を通して、キリスト教会の中に潜んでいる恐るべき犯罪を小説化しようとしたのです。
一般に存在する多くのキリスト教会が、この小説に出てくるようなスキャンダルをかかえているわけではありませんが、私たちは教会に連なる者として、自らを顧み、反省し、心を砕かれ、真に世の光、地の塩としての役割を果たしていく者としての証しを立てたく願う者です。
“みことばを語れどつとに我が心 根強く自我の根を張るを見る”
これは私の心をさらけ出した恥ずかしい告白です。その事実を聖霊とみことばによって照らし出され、そんな者がなお赦されて生かされていることのゆえに、悔い改めと信仰を持って再起していける恩寵の中にあることを覚えます。
そこで、神中心の自己と自我中心の自己の姿を一覧にして自己反省と再生への道を求めてみたいのです。
・自己中心(我が意志成らしめよ)
(1)自分の栄誉に執着する
(2)他人の意見を気にし、賞賛や人気を欲しがる
(3)自分の考え、意見を通したがる
(4)他人の批判に耐え得ない
(5)権力を欲しがり、他人を利用する
(6)他人が赦せない。憎しみを持つ
(7)失望すると回復が遅く、苦しむ
(8)自分に利ある者のみを愛す
・神中心(あなた様の御意志を)
(1)真の謙虚を知る。神に栄光を帰す
(2)人からの賞賛など気にしない
(3)柔軟で他人の考えを理解する
(4)批判を受け止め、利益を引き出す
(5)共通の利益のため献身する
(6)自己に厳しく他人に寛容
(7)神の最善を信じ、回復が早い
(8)全ての人を赦し、愛そうと努力する
作家の三浦綾子さんは、人間が生きること、死ぬことについてこのような言葉を残しておられます。すなわち「人間は生きる権利があるのではなく、生きる義務がある」「私には最後に死ぬ仕事が残されている」と。この言葉こそは、イエス様のたとえ「一粒の麦、地に落ちて死なずば・・・」を見事に理解し、解説しているのではないでしょうか。
イエス様が十字架を負って歩かれた場面に出てくるクレネ人シモンは、その行列を珍しそうに見物していたところ、突然無理やり、イエス様に代わってその十字架を負わされました。それは戸惑いであり、恥ずかしいことで、投げ出して一刻も早く逃げ出したかったでしょう。「なぜ突然こんな物を負わねばならないのか」怒りがこみ上げたことでしょう。しかし、そのお蔭でシモンは身近にイエス様に接し、無理に負わされた十字架をこの上ない光栄ある奉仕と思えるようになっていったのでした。
植村正久牧師の説教集の中にこのシモンのことが詳しく書かれています。シモンは後にキリスト者となり、その恵みを家族に伝え、一家は幸いな信仰の家庭となったというのです。それは根拠のないことではなく、まずマルコの福音書15章21節を開くと、「アレキサンデルとルポスとの父でシモンというクレネ人がいなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架をむりやりに彼に背負わせた」とあります。十字架を負わされたシモンにはアレキサンデルとルポスという息子がいたことがわかります。そしてローマ書16章13節を見ると、「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また、彼と私との母によろしく」とあります。この手紙などを合わせて読む時、素晴らしいクリスチャン家族の姿が見えてきます。つまり、イエス様の十字架を無理やりに負わされたのはシモンという人でありますが、このシモンにはアレキサンデルとルポスという息子たちがあり、パウロが「彼と私との母によろしく」と言って、母と言うのはシモンの妻であったのでしょう。
シモンは無理にイエス様の十字架を負わされたのですが、後になってこのお方を救い主として受け入れ、家族中が共々クリスチャンになったと考えられるのです。シモンは一粒の麦でしたが、彼は一粒の麦として死に、そして家族全部が信じ、喜んで十字架を負う者として成長し、このように聖書の記事の中でその名前を連ねるに至ったと見ることができるのは、なんと大きな慰めと励ましではありませんか。
では最後に、もう一つ「一粒の麦」の話をして終わります。大正時代の古い話です。香代さんという姉妹の話です。彼女は当時、不治の病と言われた結核を患い、余命いくばくもない状態の中で、升崎という牧師からキリストの救いの話を聞いて救われました。しかし、大正時代の田舎で升崎牧師は村の人たちから大変な迫害を受けていたのです。ですから香代さんも簡単にはバプテスマを受けるわけにはいきませんでした。しかし、死にかけの病人ということで家族は特別にバプテスマを受けることを許したのです。
ところがバプテスマを受けた時から体の具合がめきめき良くなり、家族は「こんなことならバプテスマを受けさせないが良かった」と言うのでした。そして、娘がヤソになったということが村中に知れ渡りましたので、家族は娘さんを座敷牢に入れて一切、牧師との交流を切断させてしまったのです。そうこうするうちに娘は病を再発させて死んでしまいました。ところで、香代さんは毎日日記をつける習慣を持っていたのですが、家族がそれを読んで大変感動したのです。その日記には文句がましいこと、恨みがましいことは一言も書いてなく、父母、家族の祝福のみが祈られていたからです。そして、その家族十一人は全員が信じる者として救われたというのです。この娘、香代さんは自我に死んで、一粒の麦として素晴らしい実を結んだということなのです。
“信仰の迫害を受けしうら若き おとめの日記にうらみごとなし”
“一粒の麦となり得て家族らの 救いの成就少女の日記”
(著者作)
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。