温故知新とは、古きを訪ねて新しきを知るということです。日本に将来、必ずリバイバルは興ります。理由は簡単です。過去にも興ったからです。神は繰り返し、リバイバルを興されるお方です。神はこの次に興るリバイバルについて、直近のリバイバルをよく調べるとそのヒントが隠されていると、日本の教会にある意味での示唆を与えられている気がいたします。
世界各地のリバイバルを調査し、研究し、その方策を導入していますが、かつて興ったようなリバイバルにはなかなか至りません。近隣諸国のリバイバルの火が飛び火してきて日本の教会全体が燃え上がることが一番の近道なのですが、なかなか日本は飛び火を受けてもわずかばかりしか燃え上がりません。
私は宮城県でも過疎地域と言われる田舎の農村や漁村に戸別訪問、個人伝道し、トラクトを配布し続けて三十年近くなりますが、驚くことに江戸時代初期には大勢の人々がキリシタンとして現存の町々村々に生活していました。かつて興ったリバイバルは必ずまたやってくると確信します。
政治体制や経済状態に、この先何らかの変化が起きて、困難な中で人々が救いを求めるときが必ず到来します。昭和のホーリネスのリバイバルのときには、前後して治安維持法という共産主義取り締まりを主眼とした悪法により、神道系の大本教(現在のPL教団等はその流れ)や灯台社(ものみの塔)も弾圧投獄されたり、本部が官憲により爆破されたりしましたが、天皇制に対しての是非の問題が底流にありました。ホーリネス弾圧にも天皇制是非の問題が絡んでいました。表面的には天皇の名により特別高等警察や検察に弾圧された牧師たちはむしろ赦し、終戦後は皇室の救いの祈りを捧げていたことは感謝なことでした。
ホーリネスのリバイバルを主宰指導した中田重治氏は、無教会系の内村鑑三氏とは住居が同じ新宿の柏木ということで近いこともあり、親交がありました。彼らは大正時代に協力して再臨運動を推進しました。リバイバルの遠因にはこのことが挙げられます。前回の三つの理由に続いて、今回は以下のことについて注視してみます。
4.ホーリネスのリバイバルは再臨運動であった
カルヴァン主義の内村鑑三氏とアルミニアン主義の中田重治氏は全国各地で共同で「再臨講演会」を開催し、イエス・キリストの再臨が間近いことを教理の違いを超えて強調し、多くの賛同者を獲得しました。中田氏と内村氏たちが協力して日本各地で再臨待望大集会を開催していくと、様々な批判が噴出しましたが、特に中田氏はそれらを一笑に付して相手にしませんでした。
内村氏のイエス・キリスト再臨の近い根拠はいくつかありましたが、興味深いのは、十九世紀以降ロシア東欧等からユダヤ人が多数、イスラエルへ帰還を進めていること。もう一つは、エルサレムにヘブライ大学が開学し、古代語であったヘブライ語で講義が行われており、開学記念講演はアインシュタイン博士が行ったことであるとして、世界の歴史の日時計であるユダヤ民族に注目していたことでした。
要は、死語であったヘブライ語が復活したことはキリスト再臨の顕著なしるしであると、預言的なインスピレーションを与えられて、それを確信していたということです。中田氏もこうした内村氏の考えに深く共鳴していました。彼自身が「四重の福音」を標榜し、新生・聖化・神癒・再臨を強調しましたが、特に再臨に関してはブラックストーンの「耶蘇は来る」をテキストにして、教団としても再臨をポツポツ祈り始めていました。
「聖書の預言的研究講演会」というのが集会の名称でした。大正7年5月5日の講演の中田氏の主題は「異邦人の数の時」、内村氏が「キリストの再臨に対するユダヤ人の証明」というものでした。この運動に対しては猛烈な反対が執拗に展開されましたが、中田氏は反対者に対して「キリストを中心としない自己中心、神の力よりも人間の努力を重んじている。俗悪なるドイツ神学の余毒、いわゆる聖書の高等批評、教会の中に浸透してきた俗化勢力の輩」と見ていました。
同年11月に東京での「基督再臨研究東京大会」では、内村氏は聖書地理学的中心としてのエルサレムについて講演し、その講演中に、ある信徒がこの運動のために当時の金で二千五百円を捧げて、満員の会衆に感動を与えました。こうした運動の影響を受けて、ホーリネス教会では具体的に祷告と銘打って、リバイバル前もその後も、キリストの再臨を祈りによって具体的に求めていく姿勢ができていました。リバイバル前々年には教会を「祈りの家」と改名して、伝道とともに祈りを重視した教団の対応がなされていきました。
昭和5年のリバイバル直後から、リバイバル大会が各地で開催されましたが、この年には教職を中心とした「再臨準備リバイバル同盟」が東京に結成されました。大阪でも自由メソジスト神学校で「再臨準備リバイバル同盟大阪大会」が結成され、それぞれ猛烈に聖書の預言から説き明かされる再臨待望大会は、大会衆で溢れかえり、「再臨準備ホーリネス大会」と銘打って、中田氏を始めとした当代の名説教家たちが「主は近し!備えせよ!」と獅子吼したものでした。
この五千人収容の大天幕は、当教団牧師の故・阿部忠三郎氏が修養生を指揮して毎回組み立てていたのだという証しを、私は神学生のときによく伺っていました。この大天幕の周囲の学院構内にはそれ以外に二十のキャンプが張られていて、まさに人でごった返していたといいます。「再臨待望と祷告」がリバイバルの二大スローガンとして強調されました。
後に特別高等警察から思想犯容疑でホーリネス系の牧師が多数検挙された際にかけられた容疑は、再臨のキリストを天皇よりも上の位に置くことは国体に反し、国賊であるというものでした。しかし多くの牧師は、キリストは世界の王であると断言し、再臨信仰を一歩も譲りませんでした。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事長、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。