富雄キリスト教会開拓伝道初期の体験で、牧師生涯の大きな宝となった出来事です。
わずか数人の礼拝で説教の聖書の箇所を開いて読もうとした時、玄関のドアが開き、真夏日でしたが麻のスーツをびしっと決めて、椅子に真っ直ぐ座った方がありました。聖書の箇所は、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)だったため、引退牧師が来たと思い、赤面での説教でした。
お話を聞くと戦艦南雲に乗船していた元海軍軍人でした。この大森米吉兄は海軍時代クリスチャンになり、先妻を亡くして再婚した時、クリスチャンでない婦人を選びました。それは一人クリスチャンが増えると思ったからでした。奥様がイエス様を信じて救われることを長年祈ってきましたが変わらず、自身も聖書は読むけれど教会には通っていませんでした。富雄キリスト教会の集会案内を見て30年ぶりにキリスト教会に出席し、奥様が救われるように願ってそれから毎週礼拝に来るようになりました。
奥様はとても素敵な方でしたが、イエス様を信じる気持ちは全くなく、お訪ねしても話を聞いてもらえませんでした。それから1年後、大森兄弟は86歳を迎えた時、心不全になり入院。四日後に平安の中で召されました。病院でもこんな臨終は見たことがないと言われるような見事な召天でした。
その召される直前、大森兄は枕元の奥様に祈りの言葉を残しました。「美乃や。50年間良い妻であってくれてありがとう!私は天に帰るけれども、すみれ(幼い日に亡くした娘)と私に会いたかったらイエス様を信じて下さいね。心から祈っているよ。アーメン」。
臨終の床での祈りは通常、召される人のためにされるものですが、大森兄の祈りは、救われていない奥様への祈りでした。大声でもなく絶叫でもなく、素直に最後の息とともに30秒も声を出せない状態でのアーメンの祈りでした。
牧師として初めての葬儀でしたが、「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116:15)ことを実感できる召天式になりました。美乃姉は葬儀後に洗礼を受け、93歳で召されるまでの15年間、忠実な教会員として祈り仕え、「感謝します!感謝します!」と言いつつ、愛する娘と主人の待つ天に帰って行かれました。
それから後、クリスチャン以外の方の臨終にも多く立ち会いました。そのたびに「『アーメン』と言えば救われます」と語り、病床洗礼を授け、平安に輝くお顔での御国への旅立ちを詩篇23篇の朗読とともに見送り続けています。
短い祈りですが、素直に純粋にイエス・キリストのお名前によりなされる祈りは人々を救い、永遠のいのちを与えることができます。全てのクリスチャンが救わていない人のために、最後まで祈り続ける信仰が与えられるように祈ります。息を引き取る瞬間まで救いのチャンスは残されています。「『アーメン』と言えば救われる」と、確信を持って臨終の床で福音を語り、祈りをしたいものです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5:24)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。