わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。(ペトロの手紙二3章18節)
毎週書き続けてきた拙文ですが、今回の13回をもって完了とさせていただきます。毎回書き認めながら、身の周りの状況の変化を確認してまいりました。かつて古い機種のパソコンを駆使しながら書き続けてまいりましたが、ある時期から新しい機種のパソコンを活用するようになりました。
以前に比べて便利にもなりましたが、不便に思う面もあります。それは、ゆっくりと思案しながら書くことができなくなったということです。以前のパソコンは、クリックしても画面が変わるまでゆっくりと待ちました。
その間、何を書こうか等と考えるゆとりがありました。今使用中のパソコンは、クリックすると瞬時に画面が変ります。だから気持ちの切り替えを早くしなければなりません。以前に比べて新たな状況展開です。その分、学びが広がりつつあります。
ところでホスピス病院にチャプレンとして務めておられる方のお話を伺ったことがあります。数多くの患者さんたちの臨終に伴われたチャプレン曰く「人は生きた通りに逝かれるようです。しっかりと身の周りを整理しておられる患者さんは、人生の最後もしっかりと旅支度をして逝かれます」。それを聴いて、思わず我が身の引き締まる思いに駆られたものです。ある作家は、ご自身の死を迎えることを「人生最後の仕事」として理解しました。
冒頭に掲げ続けてきた題目は、人生最後の仕事への備えでもあります。神さまが与えてくださった唯一1回の人生です。良い生き方をし、良い死に方を貫き通して、人生最後の仕事を完了したく願う。そのために拙文を書き続けてまいりました。つまり、「生き甲斐」は、「死に甲斐」でもあるということです。
失敗の多い生活を過ごした使徒ペトロでした。自身の挫折的な体験を通して、手紙の読者にこう勧告します。「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」(ペトロの手紙一2章2節)。そして主の御言葉に生きる確かな人生を明らかにしました。それは手紙の読者が「神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」と言明することでした(ペトロの手紙一1章23節後半)。
生かされて生きる信仰と希望が、神さまにかかっている事実を拠り所とするのは、世々のキリスト者の信仰告白です。それはイエス・キリストさまを死者の中からご復活させて栄光をお与えになられた神さまを、イエス・キリストさまによって信じることです。使徒ペトロは、そのような視点に立ってキリスト者の成長を語られました。
使徒ペトロは、手紙の最後をこう結びます。「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」(ペトロの手紙二3章18節)。更に続きます。「このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように」(3章18節後半)。人生の目的(目標)が明確に定まっているとき、身も心も定まるものです。
願わくはイエス・キリストさまに拠りかかって人生を生き、人生の最後を迎えたく願う。人は生きた通りに逝きます。確かに限りある人生の日々です。人と人のかかわりには、とかく行き違いや反目も起こり得るものです。己の寛容も忍耐にも限りがあります。常に主イエス・キリストさまの恵みと知識において、愛することの成長を願うものです。
神さまの無条件愛に目覚めるとき、人知に尽くせない赦しの奇跡が起こされます。私は、それを信じたく願う。「主よ!どうか不信仰な私をお救いください!」と祈りつつ、赦しの奇跡を分かち合いたく願う。
ところで、ペトロの手紙一1章8節にこう記されています。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」。何と清々しい人生ではなかろうか。どんなに破れの多い人生の来歴があろうとも、言葉に言い尽くせない喜びに満たされるのです。
満たされるだけではなく「溢れ出て惜しみなく施す富」でもあります。絶対に赦せない人生ではなく、赦されているが故に赦し合う人生を過ごしたく願う。それが魂の安息をもたらすものとなります。私たちは、祝福を受け継ぐために召されたのです。だから祝福を祈りましょう。それが神さまの無条件愛に生きることであり、赦しの奇跡の分かち合いなのです。
こうして全13回の連載が完了します。まだまだ書き足りない思いがしないわけでもないのですが、これからもご一緒に永遠に変ることのない主の御言葉に親しみながら、共に成長を目指したく願うものです。私たちは誰でも変わり得る存在なのです。ハレルヤ!主に感謝!
津波真勇(つは・しんゆう):1948年沖縄生まれ。西南学院大学神学部卒業後、沖縄での3年間の開拓伝道、東京での1年間の精神病院勤務を経て1981年7月、多摩ニュータウン・バプテスト教会に着任。現在に至る。著作に、「マイノリテイ(少数者)の神」(1985年)、「一海軍少将の風変わりな一生の思い出」(1990年)、「出会い」(齋籐久美・共著、1991年)、「讃美歌集・主よ来たりませ」(1993年)、「沖縄宣教の課題」(2000年)。作曲集CD「生命の始まり」(1998年)、「鳥の歌」(2003年)。