あなたは道に迷った経験がありますか。私は数十人のグループで聖地の旅をし、その途中エジプトのピラミッドを見学しましたが、背の高いラクダを珍しそうに眺めているうちに、みんなからはぐれてしまいました。ラクダの持ち主が「乗りなさい。カメラに収めてやる」と言い出し、私は断って逃げたのですが、逃げても逃げても追いかけてきて乗せてもらわざるを得ない羽目となり、ラクダから降りた時には、みんなを見失ってしまったのでした。何とも言いようのない不安に襲われたものでした。そして、日本からはるばるやって来た自分の群れを見つけ、みんなに迎えられた時の喜びは、口では言い表し得ないものがありました。
イエスさまは羊の群れから迷い出てしまった一匹の羊の話をされました。羊飼いは、100匹の羊を持っていたのですが、羊たちをおりの中に入れようとして数えていくと99匹は無事だったのですが、1匹だけ見当たらないのです。羊飼いは、その1匹を捜し求めて道を引き返しました。そして、深い谷間に落ちて傷だらけになっている羊を見つけ出し、肩に乗せて帰り、近所の人たちを呼び集めて、その喜びを分かち合ったというのです。
ある方が申された言葉に「失ったものを数えるな。残ったものを数えよ」とあります。過ぎ去った時を振り返って、くよくよするよりも前向きに生きよ、という意味においてとても含蓄のある言葉です。「覆水盆に返らず」とも言われ、過去のことに捕らわれないで生きることの大切さを強調するために使われます。
しかし、イエスさまの失われた1匹の羊については、その逆の真理が語られているのです。羊飼いは99匹のうち、その1匹を失ったのですが、「1匹ぐらい失っても」とか、「残った99匹が大切だ」というのではありません。この羊飼いにとって、1匹の羊は、残る99匹にも勝るとも劣らない価値があったのです。
その迷える1匹を見つけた時の喜びは、例えようもありませんでした。彼は、その羊を担いで家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて喜び祝ったというのです。
このたとえの羊とは、私ども人間のことです。
この羊が、目先の美味しい草に夢中であたりが暗くなり、群れから離れ、羊飼いの叫ぶ声も聞き取れない芝の生い茂る中へと迷い込んでしまったように、私どももとかく目先のことに心を捕らえられ、何のために生きているのか人生の生きる価値と目的を見失ってしまうものです。
あなたも捜し求められています。それは、同じ迷える人間によってではなく、天地の創造者によってです。イエスさまはこの神から遣わされた唯一の救い主です。救いを求めてください。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。