・・・その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。・・・しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。(マタイによる福音書15章21〜28節)
春爛漫の命の季節に、自然界が恵みを受けているだけではなく、私たちも神からの新鮮な命をいただきましょう。
日本の国の借金は900兆円を超え、数年内に1000兆円を超えるだろうと言われています。日本の人口を1億人とすると、ひとりあたり、1000万円もの借金を背負っている計算になります。国政の正常化に国民が平等に貢献するために、消費税を早く上げるべきではないかと思わされます。国や社会から良いことをしてもらうことばかり期待するのではなく、自分の関わる家庭、職場、学校に、私たちがどのように良い影響を与え、幸せをつくり出せるかを考えなくてはいけない時代になっていると思わされます。
病の癒やしということにおいても、ただ「たなぼた式に、いいものが来ないかな」とか、「果報は寝て待て」と漠然と求めるのではなく、私たち自身が自分で働かせる信仰を持とうではありませんか。
今日開いた聖書箇所のカナン人の女性は、異邦人で、ユダヤ人から見れば、「こんな外国人には、まともな信仰なんてない。一緒に礼拝に集うなんて許せない」と嫌われた人々でした。でも、そんな異邦人の女性が、イエスから「あなたの信仰はりっぱだ。あなたの願いどおりになるように」とほめられる素晴らしい信仰を働かせたのでした。
イエス・キリストの十字架と復活がどんなに素晴らしいものであっても、信仰を人任せにするのでは、神のみわざは現わされません。信仰は、神とあなたとの関係ですが、一方通行の神からの愛だけではだめなのです。癒やしを引き寄せる力強い信仰をつかみ取る秘訣を、2つの点から学んでおきましょう。
1.はっきりとした行動で表される信仰
イエスが認められた、病が癒やされる信仰とは、単なる理屈っぽい信仰ではなく、明確な行動で表された信仰でした。それをイエスは、「りっぱだ」と言って下さったのです。この聖書の物語の場面、ツロとシドンの地に救い主イエスはおられ、カナン人の女性は、22節で、自らイエスのみもとに近づき、はっきりと叫んで求めたのでした。23節で、弟子たちはイエスに言います。「あの女を帰してやって下さい。叫びながらあとについて来るのです」。彼女は1回だけ叫び声を上げたのではなく、叫びながら、イエスと弟子たちにつきまとったのでした。
25節で、彼女はイエスの前に出た時、ひれ伏し「主よ。私をお助け下さい」と言います。そこにも、はっきりとした行動が表されています。そして、イエスがすぐ癒やそうとされず、むしろ拒絶された時、27節で彼女は、「主よ。そのとおりです。ただ小犬でも、主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と、イエスの言葉に必死になってきり返し、「パンくずなら、いいんでしょ」と、イエスのあげ足を取るように、自分の思いをイエスにねじ込むように語ったのでした。
彼女は信仰を行動で表しました。そのような信仰は迫力が違います。そして、行動の中で信仰は高まっていくのです。
2.神に対し、本気で取り組む迫力のある信仰
カナン人の女性の行動には、イエスとの本物の関係を必死で求める迫力があふれていました。23節で、イエスは、娘の癒やしを求める彼女を無視するような態度を示されました。24節では、イエスは旧約の民、ユダヤ人たちの中で、神を見失っている人々を救うために来たのであり、あなたがた外国人のために来たのではない、と彼女を拒絶します。26節では、「神の家族であるユダヤ人のために備えられている祝福を、外国人のあなたがたに与えるのはよくない」と言って、再び彼女の求めを拒否します。イエスは、1度ならず2度までも拒否し、冷たく厳しい言葉を語られたのでした。
でも、それが何を引き出したのでしょうか。イエスの意地悪とも思える態度が、なんとしてもイエスに願いを聞き入れてほしいという、がむしゃらな彼女の迫力を引き出したのです。
スポーツやビジネスの世界でも、新人たちが鍛えられるために、先輩や監督は、時には厳しく突き放しますし、親も本気で子どもを育てようと思うと、時には叱ることも必要です。時々、イエスは私たちを突き放すようなことをされます。しかし、それは、私たちの信仰をぐっと引き出すためです。はっきりと行動で表し、神に本気で取り組む迫力のある信仰は、癒やしを引き寄せます。この信仰を自分のものとしましょう。今が、癒やされる時です。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。