聖書の中で多くの人々に親しまれ愛されている人物にザアカイさんがいます。私もこの人のことを教会の集まりでしばしば取り上げ語ってきました。
彼は、エリコの町の住人で、人々から税金を取り立てる役人の頭でした。ユダヤの国を占領支配するローマ帝国は、ユダヤ人の中から税金を取り立てる請負人を雇って仕事を進めており、ザアカイはその徴税団の頭にまでのし上がり、結構な暮らしぶりで、同胞ユダヤ人たちからは売国奴というレッテルを貼られて、毛虫のように嫌われる存在でした。
その上、聖書には「彼は背が低かった」とありますので、漫画にすると、短足、太い胴体、大きな顔に太く黒々とした眉、頭には重そうなターバンといった姿になり、子どもたちまでが「ちびのザアカイ」「ケチのザアカイ」とささやいたり、はやし立てたりの光景が目に浮かんでくるのです。
税金の請負業を営むザアカイにとっての人生哲学は「世は金次第、金さえあれば・・・」というので、しゃにむにこの一事に打ち込み生きてきたことでしょう。
しかし、このようなザアカイではありましたが、この人の心のどこかには、金や物だけでは満たされない何かがあったのではないか、と想像させられます。
折りしもエリコの町は急にざわめき立ち、ただならぬ雰囲気が立ち込め、道一杯の人だかり。「ナザレのイエスがおいでだ」とのニュースに、ザアカイもイエスに会ってみたいという衝動にかられたのでした。しかし、彼は背が低く、人垣に遮られて、イエスを見ることができません。
しかし、イエスを見たいとの一念にかられたザアカイは群衆から離れて駆け出し、一本のいちじく桑の木によじ登って行ったのです。イエスの一行がその木のところを通られると見たからです。間もなくイエスは近付いて来られました。ザアカイは、その木の上からイエスさまを見ることができました。
ところがこの事は、ザアカイの生涯を大きくて転換させるところとなったのです。イエスさまは木の下に立ち止まり、ザアカイを見上げ「急いで降りて来なさい。今日は是非あなたの家に泊まりたい」と言われたのです。ザアカイは急いで木から降りてイエス一行を自分の家に案内し、彼はそこで今までの自分の罪深い生活を告白し、新しい人生を生きる者となったということです。イエスさまは「今日、救いがこの家に来た」と申して彼を祝福されたのでした。
ここには素晴らしい救いに至る秘訣があります。それは「登ること」と「降りること」です。「求めてへりくだる」ことです。イエスさまを求め、イエスさまに見出される人は幸いです。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。