8日、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議が約1ヶ月半ぶりに再開した。
今回の協議では、米国などが求めている寧辺(ヨンビョン)の核施設の停止や国際原子力機関(IAEA)の査察復活など、核放棄に向けて取るべき「初期段階の措置」に北朝鮮がどれだけ応じてくるかが焦点となっている。6カ国協議の進展に、今、世界各国が注目し、北東アジアに「核」の脅威がない平和な未来がやってくることを願っている。
6カ国協議の最終目的は、北朝鮮に「核」を放棄させることだ。
しかし、たとえ北朝鮮が「核」を放棄したとしても、「核」の脅威が地球上から消滅するわけではないことを忘れてほしくない。米国が、ロシアが、中国が、フランスが、英国が、核兵器を所持している。これは紛れもない事実である。
広島と長崎に原子力爆弾が投下され、第二次世界大戦は幕を閉じた。にもかかわらず、なぜ彼らはいまだに「核」を保有し続けているのか。国連安全保障理事会の常任理事国として、世界平和のために模範を示さなければならない彼らが、なぜ「核の保有」に固執し続けているのか。
彼らは「核の所有」によって力のバランスを量り、互いに互いを牽制しあっている。
そもそも北朝鮮が核の保有にこだわる原因がここにある。朝鮮戦争後の1950年代後半、北朝鮮の金日成(キムイルソン)首相(当時)は、朝鮮戦争で見せつけられた米国の圧倒的な軍事力に対抗するには核の保有が必要だと認識し、核開発の第一歩として技術者をソ連に送り出したという。
そして今回の核実験においても、北朝鮮は、国際社会の批判を無視して「核保有国」としての立場を執拗に誇示することで緊張性を高め、米国に対して、経済制裁の撤廃などを求める対話の場を設けるように要求してきた。北朝鮮は「核の保有」によって米国との対等な譲り合いが可能になると判断し、核実験に踏み切ったのである。
また米国と旧ソ連の東西冷戦についても同じことが言える。つまり、相手が「核」を持っているからこちらも「核」を持とう、ということだ。そうすることで軍事力のバランスが量られ、さらには政治的・経済的にも対等な関係を築くことができるから、安心して国家間の交流を行うことができるという構図だ。
彼らは「核」を保有することで互いの力を抑制しあい、うわべだけの「平和」を作り上げたと言える。「バランスオブパワー」により、この世の仕組みが成り立っていると言っても過言ではない。
このようにして、半ば偽造されたとも言える「偽りの平和」の中で、われわれは今生きている。「偽りの平和」なのだから、当然われわれの日々生活には不安と恐怖がつきものだ。誰もがそのことを実感しているだろう。未だに世界各地で戦争が絶えない状態が続いている。犯罪は時代とともに凶悪化している。結局「核」という魔の力に頼っていては「真の平和」を築き上げることは出来ないのだ。
では「真の平和」は一体どのようにしてなされるものなのだろうか。それは力、武力によってなされるものではないはずだ。人間の歴史がそれを物語っている。
聖書には何と書いてあるだろうか。イエスは山上の垂訓の8つの祝福の宣言の中で、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから」と話された。柔和な心を持つものが地を受け継ぐ、つまりこの地を支配するようになるということだ。
「柔和な心」とは言い換えると「心の貧しさ」である。「心の貧しさ」とは、つまり謙虚さ、謙遜な姿勢のことである。その死にまでも従順された真の謙遜さによって、われわれ人間と神との和解の道を切り開き、罪悪の世に真の平和をもたらした方こそ、われらが主イエス・キリストである。
不安だから武装する。相手が武装したからこちらはもっと強力な武器で武装する。そのような一対一の律法的な関係性から兵器が次々に強化された。そして人類が最終的に生み出した悪の結晶が「核兵器」だと言える。その武装状態の極限に達してしまった今、いつそれが爆発してもおかしくない。われわれは今、非常に不安定な時代に生きていると言える。
その武装状態を解除できる力は何か。その不安と恐怖を取り去ることが出来る唯一の道は何か。それはキリストの愛の力によってである。
イエスが説いた「福音」という教えは何か。それは「目には目を、歯には歯を」という律法的な教えではなく、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」という教えだった。1対1の関係で相手を裁くのではなく、全てを愛でやさしく包み覆われたお方、それが主イエスだった。
柔和な心を持ち、自分を下ろして相手を受け入れる(赦す)姿勢を互いに見せること。強情で固執的な姿を悔い改め、今執着しているものを手放せばどんなに楽だろうか。キリストの愛の理論を基本とし、お互いに武装状態を解除したときに「真の平和」がこの地に訪れるはずだ。
確かに現実と理想のギャップは否めない。しかし、少なくとも北朝鮮は、核の保有国としての立場に固執している強情な姿を悔い改め、国際社会の批判を素直に受け入れて自発的に核を放棄すべきだ。
一方、他の核所有国に対しても同じことを言いたい。彼らの中にも北朝鮮と同じように、国家間交流を図る上で「核」の力を利用しようとした姿がなかっただろうか。国際平和を成し遂げると明言しながら、「核」という魔の力に頼り、力の均衡を図ることで見せかけの「平和」をでっちあげた姿はなかったのか。もう一度自分自身に問いただしてもらいたい。
今世界は6カ国協議を前にして、北朝鮮の動向に注視している。しかし、北朝鮮が「核」を放棄しようがしまいが、世界平和の実現のために世界をリードしている国連連安保理の常任理事国が「核」を保有している限り、この地球に「真の平和」は来ないだろう。
理想は「核」のない平和な世を作ることだ。協議を通して北朝鮮が核の放棄を前向きに検討し、それを皮切りに、世界各国で核廃棄の世論が広がってくれるように祈りたい。