祈りこそ、人と動物を分かつものです。祈りは人間の生活の基本です。
礼拝で司会者が終わりに祈り、全員がアーメンを唱和した瞬間、「いただきます!」というかわいい声が、チャペルいっぱいに響きました。思わず、みんなに驚きの笑いと微笑みが広がりました。まだ幼い女の子が叫んだ声でした。おそらくお腹もすいていたし、何よりもお家でアーメンと祈ってから「いただきます!」と言うのが習慣だったのだと思います。
母親といつも教会に来ていたある幼い子は、「お家でご飯を食べるとき、お祈りしないのはポチとパパだけね」と話しました。父親は恥じ入り、次の日曜から教会に行くようになりました。
祈りの手を合わせることが自然な習慣となる生活は、幸せだと思います。
500年ほど前、ドイツにデューラーとハンスという、美術工房で働く若い見習い職人が、画家を目指していました。しかし、絵筆をとる時間のないほど働かなければ、生活もままにならないほどの貧乏暮らしでした。
2人は生計と画業の両立に窮し、ハンスが、「君が画家として成功するまで、自分が働いて支え、君が画家として成功した後、自分が絵の勉強をしよう」と、デューラーの学資のために働くことにしました。先に絵を学ぶことになったデューラーは、イタリアのベネチアで画家になるために一生懸命に勉強をはじめました。ハンスはニュルンベルグの鉄工所で働きながら、デューラーにお金を送り続け、その生活を支え続けました。
3年が過ぎ、デューラーの名はベネチアでも評判になりはじめました。作品も売れるようになり、「今度はハンスの番だ!」とニュルンベルグに帰ります。帰国して握手した時、デューラーはハンスの手を見て号泣します。なぜなら、友の手は重労働のために変形し、もう絵筆が握れなくなっていたからです。しかし、ハンスはデューラーのために祈り続けていたので、彼の成功を喜び、涙しました。
デューラーはその愛に感動し、ハンスのごつごつとした手を「祈りの手」として描きました。これが有名な「祈りの手」と呼ばれるデューラーの代表作なのです。ブログを書いている書斎にも、院長室にもその祈りの手が飾られています。2人のエピソードを知るほどに、感動と涙を禁じえません。
祈りの手は働く手であり、働く手は祈りの手であることを痛感します。どんなときでも、たとえ30秒であれ、瞬間であれ、沈黙の祈りでさえも尊い祈りであることを覚えたいものです。長時間の祈りでなければ本当の祈りではないなどと軽々しく説教したり、自慢するところから解放されたいものです。と同時に、主イエス・キリストの祈りに支えられ、守られていることを覚え、私たちもまた友のために心熱く祈り続けたいものです。
主イエス・キリストのお名前で「アーメン」と真実の祈りがなされ、「ありがとうございます。祈れました!感謝します!」との声が、すべてのクリスチャンの口から告白されるとき、神の栄光は大きく輝きます。
神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8:33〜34)
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル人への手紙7:25)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。