また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。…わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。(ヨハネによる福音書12章44節〜50節)
神から命を受けている者として、この春にふさわしい祝福を神が与え下さることを期待したいと思います。
私たちは、信仰を与えられているクリスチャンです。信仰とは、自分の都合やわがままだけで生きる生き方から、神との関係をしっかり持ち、人生にも神の知恵によって見通しを立て、広い視野を持って歩むことです。ご都合主義で、目先の事ばかりを追いかけていては、幸せになれません。今日開いた、ヨハネによる福音書のイエスのおことばも、そういう視点から、共に味わっていきたいと思います。確かに、私たちの神は、困った時に助けて下さる神ですが、聖書が伝えようとするのはそれだけではないのです。今日の聖書箇所は、イエスが人々を癒し、教えを語られたご生涯から、いよいよ十字架に向けて歩みを始められた分岐点となるところです。信仰の神髄に至り、神の恵みの色あせない信仰を持つことができるように、2つのことを押さえておきたいのです。
1.イエスの向こう側にあるもの
私たちは、イエス・キリストご自身の向こう側におられる方をはっきりと意識したいのです。イエスを信じるということは、単に、人として姿を現されたイエスを信じるのではなく、救い主であるイエス・キリストを遣わされた父なるまことの神、天地宇宙を造られた偉大な創造主である神を信じ、心の目で見、受け入れることなのです。
16世紀のルターやカルヴィンなどによる宗教改革以前、1500年に及ぶカトリック教会の歴史の中で、イエスを信じると言いながら、いつのまにか偶像に刻んだイエスでなければ祈れないとか、イエスの像のない教会は教会ではないなどという信仰に留まっていました。でも、聖書は、神を偶像に刻んではいけないと語ります。神を私たちの側に引き寄せて、人間と同じ形にしてしまっては意味がありません。私たちの信仰は、イエス・キリストを通して、偉大な神に結びつく信仰であることをはっきりと知りたいのです。
2.イエスの御業の向こう側にあるもの
イエスが教えを語られ、なされた御業、奇跡の向こう側にあるものを、私たちは意識したいと思います。確かにイエスの教えには真理があり、御業によって病は癒され、空腹は満たされ、必要は満たされていきました。しかし、イエスが御業を行われたのは、一体、何を現すためだったのでしょうか。それは、イエスこそが闇の中の光であり、私たちの救いであることを現すためなのです。
私たちの人生には闇と言われるものがあります。しかし、私たちはイエス・キリストと共に歩む時に、もはや闇の中に留まり続ける必要はありません。救いとは、私たちの人生が、魂、霊の部分から変えられ、幸せや喜び、平安、いつまでも変わらない神の恵みの中で生きる者へと変えられることです。世の中が用意するものには、実は救いはありません。もちろん、お医者様の働きは、寿命を延ばし、命を助けることができます。でも、聖書が言う、命を救うということとは違うのです。
イエス・キリストは、尊く清い、神としての命を、私たちと同じ人間としての姿をとりながら、生き抜いて下さった方です。罪深い人間の命は、だれかが人質になっている時に、「じゃあ、私を身代わりに」と言っても、一人の人しか救えません。でも、神としての命を人として全うされたイエスの命は、お一人の命で何十億の人であろうと、限りなく救う命としてほとばしり出るのです。イエスが私たちの罪を背負われて、十字架に架かって下さったことで、私たちの罪は全部そこで処分されました。
そして、イエスの死からのよみがえりは、私たちに「死を超える命」が与えられている事実を約束するものです。この命は、この地上での命が終わったら、どこに行くのかわからない迷える魂ではありません。私たちの命は、神のみもとで、永遠の喜びをいただくことができます。私たちには、私たちの心臓や呼吸が続いているこの命を超える、イエス・キリストによる本物の命が与えられていることを感謝しましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。