「種蒔く人は、みことばを蒔くのです」(マルコ4:14)
弟子たちはイエスの意図がつかめなかった。何故、イエスが種蒔きと4つの土地の話をしているのかをいぶかり、イエスに質問してきた。ガリラヤ地方のほとんどの人は農業をしていたので、当時の人ならだれでもよく知っていることなのだ。
彼らは、イエスが話したことを知らないからではなく、むしろよく知っているから尋ねたのである。今さら、どうしてこんな話をするのだろうかと。
「種蒔く人は、みことばを蒔くのです」と答えた時、イエスは自分のことを言われたのである。イエスは御国から遣わされた宣教者として、種蒔きが種を蒔くように、みことばを蒔いていた。
これも、天が裂けて、天の御国が近づいた現象の一つである。宗教や律法を教える教師は数えきれないほどいたが、イエスの語り方の違いを人々は感知して、「このような権威をもって語るこの人は、いったいだれなのだろう」と話題にした。
みことばはイエスを通して、まるで空から地に雨が降り注ぐように注がれた。イエスの口からことばが発せられたと同時に、力と祝福が解放されたのだ。
イエスは書かなかった。一文章も残さなかった。彼は、ただ語ったのである。病人を癒やす時に語った。悪霊を癒やす時に語った。罪の赦しを語った。語ることによって死者をよみがえらせた。天の御国の教えも、語ることによって伝えた。イエスのミニストリーはすべて、語ることによって行われた。つまり、「みことばを蒔く」とは、みことばを語ることなのだ。
主なる神が、種に思い入れが強いことは明らかだ。聖書の第1ページに最も多く書かれていることばは、「神が仰せられた」と「種」である。「種を生じる草」、「その中に種のある実を結ぶ果樹」など、1章に種は6回書かれており、「神が仰せられた」は10回書かれている。これには訳があると思わざるをえない。
また、新約聖書も「種」ということばではじまる。日本語聖書では「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」ということばだが、英語訳の書きだしは「The Seed of Abraham」であり、直訳すると「アブラハムの種、ダビデの種、イエス・キリストの系図」となる。
新約も旧約も、その始めに種が強く印象付けられているのは興味深いことだが、神が「種」にかなりの思い入れをもっていることがわかる。
種の法則について考えてみよう。
種は小さい。200もの実をつけているミカンの木は、まことに見るに美しいものだが、小指の10分の1の大きさしかない種から始まったことは驚くべきことだ。種の特徴は、まず小さいことだ。
ところが、この小さな種の中に計り知れない可能性が秘められている。この小さな種から毎年、しかも数十年にわたって数百のみかんが実を結ぶのだ。
みことばを蒔くことは、決して目立つことでも、はでなことでもない。種蒔く人に注意を払わないように、みことばを伝える人に注目する人は少ないだろう。誰も、みことばが持つ可能性など考えもしないだろう。しかし、みことばがよい心に蒔かれるなら、その可能性は計り知れないのだ。イエスが蒔いた種から二千年後には、何百億もの実が実ったのだから。
種は地に埋められないと実を結ぶことができない。当然だが、地に埋められないと、種はその可能性を発揮することができない。地に埋められ、いわば種は一度死んで、皮が破れ発芽し、そこではじめて地表に現われるのだ。
同じように、みことばも心の深い所に埋められなければならない。道ばたやうすい石地やいばらの中に落ちたのでは実は結ばれない。イエスが蒔かれたみことばを、どれだけ心の深みで受け止め、そこにしばらく隠すことができるかが問われているのだ。
種は土地とその養分を必要とする。可能性はすべて種の中に隠されているが、養分は地から来る。種は、実力を発揮するためによい土地を必要とする。だから、農夫は地を耕すのだ。
人の心は養分が豊かである。みことばの大いなる可能性を生かすのは心なのだ。心が完全にみことばにささげられたとき、百倍の収穫はごく普通であろう。
イエスは、みことばだけではなく、心がもつ豊さにも期待した。みことばの種が良い心の土地に落ちることを望んで、みことばを語り続けたのだ。
実を結ぶためには時間を要する。すぐに実を結ぶことはない。種は決して急がずあわてず、ゆっくりと時間をかけて、自分の時間帯で実をつける。
イエスは知っていた。みことばと心がかみ合ったときに持つ、すさまじい可能性を。12弟子たちの心に蒔かれたみことばが、やがて全世界で実を結ぶことを。だからこそ彼は希望に満ちて、語り、語り、語り続けた。彼は、みことばの種蒔きであった。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。