クリスチャン生活にも様々な悩みがあり、試練や苦しみもあります。それらには、はっきり目的があることを頭では理解しているつもりでも、実際には葛藤とストレスに支配され、全てのことに感謝するなど、程遠く感じることもあります。そのようなとき、神を熱心に求め、寝食を忘れてでも祈りに熱中し、断食さえもいとわなくなるときがあります。
「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」(詩篇50:15)
悩みや試練のときは祈りの好機です。祈りがチャンスであれば、断食は、さらなる祈りの恵みの倍化する好機なのです。悩みがある日には、主の御名を呼び求めることです。解決が困難であればさらに主の御名を呼び求め、必要を感じるなら断食の祈りをする時だと思います。
断食の祈りをすると、恵まれないのは誰かのせいではなく、俗世間に支配され、すべての悩みを自我の力で何とかしようとしていた自分のせいだと気付かされます。そのときにほんとうの悔い改めが与えられ、絶対的に神に信頼できるようになります。
断食の祈りをすると、信仰の本質が聖霊によって変えられるという恵みと祝福を体験することもしばしばあります。同時に、自らのためだけでなく他者のために祈るとき、断食の祈りはさらに大きな効果をもたらします。
数年前ですが、高校の女性教師が白血病で入院したとの連絡を受け、すぐに病院へ見舞い、イエス・キリストを信じる信仰告白に導きました。ドナーもなかなか見つからない厳しい状況の中で、2週間の断食を決心し、祈り始めました。
すると、素晴らしいことが起こり始めました。なんと、彼女の家族や病院の看護師が次々と救いに導かれ、最大の困難だったドナーも適合者が見つかり、手術も成功したのです。
残念ながら、彼女はそれからしばらくして天国に召されましたが、教会での召天式には家族や友人が大勢参集し、福音に耳を傾けてくれました。断食の祈りによって、すべてが望みどおりに解決されたわけではありませんでしたが、人間の思いや願いをはるかに越えて、神の栄光が輝いたことは事実です。
自分のための断食、ダイエットや健康のための断食もそれなりの効果はあります。しかし、私たちは他者のためにとりなしの祈りをする責任があるのです。特に、日本の救いのため、福音が拡張するために、断食をしてでもとりなす祈りの勇士が起こされることを期待します。
「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう」(2歴代誌7:14)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。