プロテスタント系の学校法人が加盟するキリスト教学校教育同盟と、カトリック系の学校法人が加盟する日本カトリック学校連合会が共催する「キリスト教学校教育懇談会」の第7回公開講演会が27日、東京都港区の明治学院大学で開催された。今年は、キリスト教教育の魅力はどこにあるのかをテーマに2人の校長が講演。学校関係者ら約150人が参加した。
同懇談会は、「カトリックとプロテスタントの垣根を越えてキリスト教学校教育の本然の姿勢を模索する」ことを目的に04年から始まった。毎年講演会を開催しており、今年は明治学院中学校・東村山高等学校校長の和田道雄氏と、南山中学校・高等学校校長の西経一氏が講演した。
キリスト教教育が目指しているもの
牧師としての経験も持つ和田氏は、映画で登場するミッションスクール教師の言葉について触れ、キリスト教学校の特徴として「神様からプレゼントされた時(人生)を上手につかみ取る。そのつかみ取る力を学ぶ」ところにあるのではないかと語った。
映画でミッションスクール教師が生徒たちに語る「Seize the day(今日をつかむ、今を生きる)」という言葉について、和田氏は「神様からプレゼントされた新い時、瞬間を上手につかみ取りなさい。他の誰かにではなくて、この私に向けられた神様の不思議、御業を、この手につかみ取る力を持ちなさい」という意味ではないかと言う。
「キリスト教学校の中でとりわけ大切しているのは、この神様からのプレゼントをつかみ取る力を学ぶことではないか」と語った。
一方、「近代科学の進歩はキリスト教なしには考えられない」という和田氏は、コペルニクスやニュートンら科学者を「身の回りにあるたくさんの神様が成す不思議に気付き、絶えず起こっているこの不思議な出来事について極めた人々」だと言う。キリスト教学校は、身の回りにある「神様の不思議」を見つけることができる感性を育むことを目指すべきだとし、そのためには、子どもたちと「感動を分かち合う大人がそばにいる必要がある」と語った。
また、「最近の子どもたちは自分を大切にする感情が薄れているのではないか」と指摘。「神様から愛されている自覚がなければ、自分を愛することはできない。他人を愛することもできない」と話し、一人一人が神から愛されている尊い存在だということを教えなければならないのではないかと訴えた。
宗教教育の基礎となるもの
「宗教教育の基礎となるもの」と題して講演した西氏は、「目に見えるものは、猫も犬も同じように見える。その向こうにあるものを見ることができるのが人間」と述べ、目に見えるものを超えてその向こうにあるものを見る力を育てることが宗教教育の基礎だと語った。
食卓に上るサンマがあれば、人間はそれに携わる漁師や運搬者、料理する母親の姿など、目に見えるサンマの存在を支える存在について見ることができる。西氏は、「サンマ一匹を見てサンマ一匹しか見ることができないという教育ではなく、その奥を開いてあげるのが宗教教育」だと言う。
また、これが社会科でれば、生産や流通、消費といった言葉で説明するのであって、宗教教育を行う上で学力も身に付いていく。「宗教教育と学力の進捗というのは別ではない」と強調。「勉強を何のためにしているのかを語れるのは宗教だけ」「(勉強するのは)人間として与えられた尊い力を伸ばすためだと教えれば、生徒たちは安心して勉強する」と語った。
母親による子どもに向けられた無条件の愛や、テストの点数では人間を図ることはできないといった「神の国」の価値観と、現実の間のにある「不協和音を聞き取って上げないといけないのではないか」と述べ、普段の教育現場では「神の愛と神の国をあらゆる材料を使ってわかりやすく伝えたい」という思いで取り組んでいると語った。
同懇談会の参加者は学校関係者が中心だが、今年はキリスト教学校へ子どもを入学させることを希望している保護者にも参加を呼び掛け、約10人の保護者が参加した。