「わたしの証人はあなたたち、わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる」(イザヤ書43章10節)
昨年は日本プロテスタント宣教150周年を迎え、教団教派を超えて記念大会・記念式典が盛大に行われるとともに、各教団や教派グループにおいても記念集会が各地で繰り広げられた。
海外から派遣された多くの宣教師たちの苦難と、その伝道を支援し協力した先人の行動ある信仰に敬服するとともに、これからの日本における救霊の業、福音宣教をいかにするかという大きな課題に向き合っている。
多くの人々が感動と感激の記念大会を体験したことであるが、この喜びと感謝を福音伝道と日本の救霊の業に活かす必要を感ずる。
未だ1%の壁を越すことのできない日本の現状を考える時、神の御前に申し訳なく、教職、信徒を問わずすべてのキリスト者が主の御前に悔い改め、祈る必要を痛感させられる。
主の十字架の御宝血の前に空しく力なき者として、神のあわれみと助けをひたすら乞い求め、神を信じ、心を合わせ悔い改めて祈った時、神の祝福が注がれるのではないか。
キリスト者一人ひとりが、日々の生活にあって主に導かれ、守られ、支えられている喜びと感謝の心を持ち、その喜びを人々に伝えたいと感じているか。日曜日クリスチャンに成り下がっていないか。反省をさせられる。
不安と不満、平安のない混迷する現代社会、心病む人々の多い中にあって、日曜日以外は教会の門が閉ざされ、祈祷会がなくなり、あるいは出席者の減少する教会の何と多いことかと思う。病を得た信徒も牧師には病状を伝えるが、祈祷会ですら公表を嫌う。主にある家族として病める者のために心をあわせて祈る大切さを思う。また、その様な教会形成をしたいものである。
更に、各教会において、信徒が伝道するための「弟子づくり訓練」が必要で、神がすべてのキリスト者に行えと言われ、しなければならない普遍的なこととして、祈ること(ルカ18:1、エペソ6・18、1テサロニケ5:17)、伝道すること(マタイ28:18〜20、使徒1:8)、弟子を作ること(2テモテ2:2)、塩と光の役割を果すこと(マタイ5:13〜16)、礼拝すること(マタイ4・18)、善を行うこと(エペソ2:10)、奉仕の生活(エペソ4:12)、救いを達成すること(ピリピ2:12)などに努めたいものである。
一方、地域社会で奉仕することは教会をより身近なものとし、教会を地域住民に受け入れやすい存在とする。私事ではあるが、3年前から地元の自治会長として役を担わせていただいている。毎月の報告案内文書の最後に聖書の言葉や格言など時に応じた言葉を記すとともに、教会諸行事の案内チラシを回覧板でまわす機会もこれによって与えられた。いずれにしろキリスト者一人ひとりが遣わされている場にあって主の御用ができれば幸いである。プロテスタント宣教151年の今年が神に喜ばれ祝されるために、祈り行動する第一歩を踏み出したい。
米田昭三郎(よねだ・しょうざぶろう ):大阪クリスチャンセンター理事長、日本基督教団大和キリスト教会長老