霊界に激震が走った。イエスがバプテスマを受けて水の中から上がると「天が裂けて御霊が自分の上に下るのを見た」(マルコ1:10)のだ。
「天が裂けた」とは歴史的に決定的な出来事が起こったことを指す。バプテスマを受けたとき、イエス個人が御霊に満たされたことより大きなスケールのこと、つまり天の領域に大変化が起こったのだ。
その変化のきざしは、バプテスマを受ける前から始まっていた。イエスは語った「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められている。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っている」(マタイ11:12)。
バプテスマのヨハネが多くの人々を悔い改めに導きバプテスマを授けていたのは、天に変化が起ころうとしていたからだ。ヨハネの登場は「天が裂ける」前兆だった。
つまり、バプテスマのヨハネの登場とメッセージによって、天が張り裂けそうな状況になっていたのだが、イエスがバプテスマを受けたとき、天がその勢いに耐えきれなくなり、ついに、「天が裂けた」のだ。
この時まで天と地の区別がはっきりしていた。しかし、「天が裂けて御霊がイエスの上に下った」ときに、天と地がつながったのだ。旧約聖書にヤコブの梯子の物語が書かれているが、青年ヤコブが罪を悔い、孤独と不安に恐れおののいていた夜中、天から地に向けて梯子がかかり、その梯子で主がヤコブのところに降りてこられた。一時的だが天と地がつながった。
本来、御霊は天的なお方である。旧約時代にも御霊が地上において活動されたがきわめて限定的であった。旧約時代は、御霊はまだ基本的には天におられた。しかし、「天が裂けた」その時、御霊の住処が天から地へと移動したのだ。御霊が下った時、天に属するものが地上に侵入し始めたのだ。
イエスの第一声「天の御国は近づいた」は、終末が近いという意味ではない。文字通り、「天が裂けて御霊がくだった」とき、天の御国が地上に突入してきたのだ。
「天の御国は」、本来「天の」ものである。天にだけ属するものである。天とは、この地が終結した向こうにある未来の世界であり、また死後の世界なのだ。天はこの世に属しないから天なのである。しかし、地に属しないはずの天の御国が近づき地上に突入してきた。
その結果、激しく攻める者たちは「天の御国」をこの地上で奪い取り、獲得しているのだ。だから、イエスは神の国は「『そらここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではない。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17:21)と語った。
旧約時代には、天の御国を奪った者はいない、それは不可能であった。大変化が起こった。「天が裂けた」「天の御国が近づいた」「激しく攻める者が奪い取っている」。今や未来の天の御国は「あなたがたのただ中にある」ことになった。
天が裂けて、天の御国が近づいたとき、どんな現象が起こり始めたのであろうか。(続く)
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。