イザヤ書7章は紀元前730年頃のお話です。当時ユダヤの国は北イスラエル王国、南ユダ王国とに分裂していました。
そして、アッシリヤ帝国が大いに栄えて、この分裂した二つの国を脅かしていました。そこで北王国イスラエルはアラムの国と組んで、南王国にも働きかけ、この三国が同盟国となってアッシリヤに対抗しようともくろんだのです。
ところが、ユダ王国のアハズは言葉をにごしてこれに加わろうとはしません。そこで、アラムの王レツィンとイスラエルの王レマルヤは大変腹を立て、両者意気投合してユダに向かって攻め込もうとしたのでした。実に人間の利害というものは複雑に変化するもので、昨日の友は今日の敵といった具合です。
この時、ユダの王アハズの心は穏やかではありませんでした。聖書は「・・・王の心も民の心も林の木々が風で揺らぐように動揺した」(イザヤ7:2)と記しています。信仰が試されているのです。
しかし、主なる神は預言者イザヤを立てて言われました。「気をつけて静かにしていなさい。恐れてはなりません」(イザヤ7:4)と。「気をつけて」とは、見守る、注意する、心を留めるとも訳せる言葉だと言われています。アハズとその民らの今なすべき事は、全能の神に注目し、神がどのように導いて下さるかに心を向けるべきであったのです。詩篇4篇1節には、「あなたは私の苦しみの時に、ゆとりを与えて下さいました」とあります。他の訳では「くつろぎ」となっています。
世の多くの人たちは、苦しみや悲しみを忘れようとして酒を飲んだり、遊びに興じてその苦しみから開放されようとするのですが、それは本当の解決にはなりません。
そう言う私も伝道に行き詰まりを覚え、心があせって悩み苦しんでいた時があります。そんな時、その気持ちが一人の知人に何となく伝わったのでしょうか。一通のハガキが届き、歌一首がしたためられてありました。
重荷ごと我を負わるる神の背は
広く大きくたのもしきかも
この一首は、深く私の心に残り、しばしば思い出されます。自分で何もかも背負ってしまい、やり切れないところへ自分を追い詰めてしまうのではなく、全てを最善に導いて下さる主に全てを委ねて生きる。これは「なるようになれ」という捨て鉢な気持ちとは全くその性質を異にする生き方なのです。
イザヤは、「気をつけて」と申した後、「静かにしていなさい」と言います。これは、静かに横たわるとか「鳥が巣籠る」という意味があると言われています。鳥はいったん卵を羽根の下に抱いたなら無闇に巣を出ることなく、忍耐強く時の来るのを待ち続けます。
ペンギンはあの冷たい氷の上で、卵を足の上に乗せてお腹の毛でおおって立ち続けます。新しい生命がはばたくためには、じたばたせず、静かに待ち続けなくてはならないことを知っているのです。
また、「静まる」という言葉には、「黙る」という意味もあります。昔、イスラエルの人々がエジプトを脱出し紅海を渡って進もうとしましたが、エジプトの戦車に追跡され、その紅海は大きな壁となってしまいました。彼らは全く四面楚歌の状態、進退ここに窮まるという中に立たされ、指導者モーセに向かってつぶやき、「私たちをなぜエジプトから連れ出したのか」と叫ぶ始末でした。「私たちをエジプトへ帰してもらいたい」と詰め寄るのでした。しかし、モーセは冷静でした。モーセは「主があなた方のために戦われる。あなた方は黙っていなければならない」(出エジプト14:14)と申し、紅海に向かって手を差し伸べたのです。神様は海の水に向かって東風を送られ潮は引き、イスラエルは乾いた地を進んで行くことができたのです。彼らが進んで行く間、水は両側に分かれて壁のように立ちました。そして、彼らが渡り終わる頃、エジプト軍が追跡して来たのですが、水は元に戻り始め、イスラエルは向こう岸にたどりついて助かり、エジプト軍は海の中に戦車もろとも消え去ったのでした。
イスラエルの先祖たちはモーセのもとにあって、静まって主を待つことの大切さを身をもって学んだのでした。
しかし、彼らの歴史は悲しいかな、この事実に目を留めることができなかったのです。この過去の歴史的な事実を事実として受け止めることができなかったからです。
後の時代、イスラエルの最初の王サウルは、預言者サムエルから「私より先にギルガルに下り、七日間待つように・・・」と言われたのですが、待つことができませんでした(1サムエル10:8、13:8)。このような生活態度がサウルの敗北、悲惨な人生の終わりへとつながっているのです。
預言者イザヤの時代、ユダの王アハズは敵の来襲の前に林の木々が風で揺らぐように動揺したのです。彼は静まって主の助けを信じて待つという霊的な訓練に乏しい人であったからです。
しかし、預言者イザヤは主に望みを置いて待つ人でありました。彼はアハズとその民を「静かにして恐れるな」と叱咤激励することができたのです。
イザヤは、神の言葉を語ったが故に迫害を受け、ノコギリでひき殺されたと伝えられています。そんな恐ろしい目に遭う前に神の言葉を語るのを辞めたら良かったのです。しかし、彼は祈り静まり待ち望む中に万軍の主が見守っていて下さることを見ていたに違いありません。そして、恐れることなく、ふりかかる試練に立ち向かい見事、神の人らしい勝利を勝ち取ったのです。
「天路歴程」という本で有名なジョン・バンヤンも神の言葉を語って迫害を受け、十数年牢獄に閉じ込められました。官憲から「『二度と語りません』と誓うなら釈放する」と言われた時、「私は今日釈放されたら明日神の言葉を語る」と申し、更に牢獄暮らしとなり、その中で書き上げられたのが「天路歴程」という名著であったのです。
信じて静まり主に期待して待ち望む人の勝利の証しがここにあるのです。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)など。