「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)
この洗礼者ヨハネのことばは、ヨハネの福音書3章22節以降のバプテスマ、きよめについて関係づけられます。ヨハネの弟子たちは言います。「あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます」。それを聞いてヨハネは、花嫁を迎える花婿の友人に自分をたとえて「私もその喜びで満たされています」と話します。
当時の宗教指導者たちの多くは、メシアであるイエスを受け入れず、喜ぶ事ができず、ヨハネのごとく素直に「花婿のことばに耳を傾けて大いに喜んでいる」(ヨハネ3:29)と言うことができませんでした。ヨハネがイエスを喜ぶ原体験はルカの福音書1章41〜44節で「ほんとうにあなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました」と記されています。
ヨハネは自身とイエスとの関係を正しく理解し、行動しました。また彼は、弟子たちがあるユダヤ人と議論していたきよめということについても、イエスにバプテスマを授ける経験を通して聖霊により理解していました。また、後にイエスも有名な山上の垂訓と称されるマタイ福音書5章12〜13節で、困難な状況の中でも「喜びなさい。喜びおどりなさい」と勧められます。そして、「あなたがたは地の塩です」と弟子たちと群衆に教えられました。
日本語で「しおらしい」という本来の意味は、充分にきちんと塩気が利いている食べ物のことを意味します。しかし塩そのものは食べ物を生かし、目立ちません。塩はからだを温め、元気をつけます。「しおらしい人」とは、ですから十分に塩気をからだに保って健康な人を表します。
塩が塩気をなくせば役割が果たせないとイエスは言われます。私たちも十分に塩気を保つことにより、ヨハネのように家庭の中で教会の中で、私ではなくイエスが盛んになることを切望し、喜ぶ歩みをしたいと願うものです。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事長、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。