祈りを聞いて答えてくださる愛なる神を、天のお父様として知っている幸いを感謝します。人が作り上げた偶像は、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、口があっても語れず、それにひれ伏し拝んでも何の価値もありません。
真実の神は生きている神で、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。
すべてのことを際限なく分かってくださる、全能で全知なる神に、天のお父様と祈れることは最高の恵みです。
神はその全知全能の御力で天地万物を創造し、不可能を可能としてくださる奇跡の神で、祈りを聞かれることがそのご性質です。
「祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます」(詩篇65:2−3)と詩篇にあるとおり、祈りをお聞きくださいます。
子どもが親に話すように、神に祈って近づくことができます。神は無限の愛とあわれみで近づく者を受け入れてくださいます。人間は誰ひとり神の前に出る資格も価値もありません。ただ滅びに定められた罪人でした。その罪人のそむきの罪を、イエス・キリストの十字架の死と御子イエスの血によって赦し、きよめて、神の子としてくださいました。その愛とあわれみは、今日もなお聖霊によって無限に注がれ続けています。
愛なる神は祈りを聞いて答えてくださいます。自然の世界は、神が祈りに答える神であることを如実に示しています。植物の世界は神の心で潤され、人が祈らなくてもすでに豊かな食物を生じさせています。聖書は動物でさえ、神が願いに答えてくださることを期待していると述べています。
「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。そこには大きく、広く広がる海があり、その中で、はうものは数知れず、大小の生き物もいます」(詩篇104:24−25)
自然の植物や動物は、声を出して神に祈るわけではありませんが、野の百合を装わせ、空の鳥を養い、一羽の雀の落ちるのさえも心に留めてくださる神に祈ることができるのです。
神は無限のあらゆる良い贈り物を持っておられます。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません」(ヤコブ1:17)
神は時代や民族、国家の隔てなく変わらない愛を持って、祈りに答えようとしておられます。祈りをお聞きくださる神のみこころに従い、イエス・キリストのお名前によって大胆に祈り求める幸いを体験しましょう。
そして、30秒の祈りであれ、長時間の祈りであれ、必ず「ありがとうございます。聞かれました。答えられました。与えられました。実現しました。感謝します」と祈りを聞かれたことを告白し、神の子として胸を張って前進しましょう。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。