大正時代のリバイバルは信仰のリバイバル、昭和5年のリバイバルは、再臨の希望のリバイバルであったと聞いています。大正時代には、「ただ信ぜよ、ただ信ぜよ。信ずる者は誰も皆救われん」の賛美がよく歌われたそうです。昭和5年には献身した兄姉が、第一ペテロ4章7節のみ言葉に捕らえられて、徹底した悔い改めと祈りに導かれたと聞いています。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」のみ言葉に捕らえられたのです。
信仰を持ちました時に再臨信仰を持たせていただいたことをいま感謝しています。再臨に焦点を合わせて信仰生活を送ってこられたおかげで、生きた信仰を持ち続けることができました。十字架に身代わりとなってくださったお方が、復活し、昇天し、もういちどおいでくださるとおっしゃるのです。
新聖歌21番5節に「まもなく主イエスは来たり われらを迎えたまわん いかなる喜びの日ぞ いかなる栄えの日ぞ」と記されています。
主イエスが私たちを迎えにおいでくださる日は喜びの日、栄えの日です。罪を赦された喜び、主が共にいてくださる喜び、宣教の喜び、ささげる喜び、主と交わる祈りの喜び、与える喜びがあります。しかし最高の喜びは、再びおいでになる主イエスとお会いする喜びです。その日を待ちながら、主を愛する生活と隣人を愛する生活を継続させていただきましょう。
私は名古屋の新三菱を退社し、献身しまして聖書学院に入学しました。その月に、愛のリバイバルと言われました聖霊の取り扱いを受けました。神の御前に聖霊を悲しませている罪を悔い改めました。他の人に対して罪を犯しているならば悔い改め祈っていただくように導かれました。ヨハネ13章の互いに足を洗う箇所が示されました。第一コリント13章、愛の章が開かれました。愛の足りなさを示され祈りました。イザヤ書53章、苦難のメシアが示されました。ルカ23章34節、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」が取り次がれました。
私は神の愛の前に、愛の欠如を示され悔い改め、執り成しの霊に満たされるように祈りました。私はこの愛のリバイバルと言われた霊の取り扱いの中に、青年時代置かれたことを神に感謝しています。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。