「時は満ちた。天の王国は近づいた」。これが、宣教を開始したイエスの第一声であった。春のうららかなガリラヤ湖水を滑るようにして広がり、そばにある小高い山にこだまして人々の耳にとどいた。この一声で、ガリラヤ湖周辺の空気が変わった。しかし、イエスの宣教を語り続ける前に、「時は満ちた」という一言を考察しなければならない。
イエスにとって「時」は殊のほか重要であった。主なる神の計画を行いたいと切に願ったが、同じように神のタイミングで行おうとした。なすべきことを遂行しても時がずれるならば、神の計画から外れているのだ。だから、「時は満ちた」と語ったイエスは、「わたしの時はまだ来ていない」とも、たびたび言った。
「時は満ちた」とは、宣教に立ち上がるためのすべての準備が完了した、という意味だ。メシヤ活動を開始するための準備期間は、私たちが想像する以上に長かった。イエスが第一声をあげたのは、およそ30歳、十字架の死を遂げるメシヤになることを知ったのは、その数カ月前、大工の仕事を捨てて故郷ナザレを離れたのは27歳。しかし、イエスが自分には特別な使命が与えられていることを自覚したのは12歳の時であった。その使命が具体的に何であるかはその時点では明らかではなかったが、新しい自覚が生れたことを証しする出来事があった。
それは、ユダヤ人の最大の祭りの時に起こった。それはユダヤ暦の1月つまりニサンの月、西洋暦の4月の半ば頃に祝われたが、400年間余りエジプトの地において奴隷であったイスラエルが力強い神の手によって解放されたことを覚えて祝う祭りである。エルサレム周辺24キロ以内に住む成人は強制的に参加することが律法によって命じられ、イスラエル全土からだけではなく、世界中からこの祭りのために集まったのだ。エルサレムの人口が5倍にも膨れ上がると言われたほど、大いなる祭りごとであった。
この祭りのために周到な準備がされた。道路が平らにされ、橋には修理がなされ、街道沿いには旅行者の必要のためにいろいろな店が設置された。
少年イエスがはじめて過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに昇るときがやってきた。父親から語られ、会堂で教師から教わり、礼拝ではひんぱんに語られ、繰り返し耳にしてきた祭りにやっと参加できることになった。
ナザレからエルサレムまでは約160キロの道のりであった。家族だけではなく、親戚、友人、同郷人が安全と楽しみのキャラバンを組んだのだが、一週間もかかる長旅であった。
8日間の滞在が終わり、キャラバンはナザレへの帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっていた。両親はそれに気づかずに、1日の道のりを行ってしまった。親族や友人の間を捜し回ったが見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。エルサレム中を捜し回って、よくやく見つけた時は3日間もかかった。イエスは、教師たちの真ん中に座って、夢中になって話に耳を傾け、質問していた。聞いていた人たちはみな、イエスの智慧と答えに驚いていた。
3日間かかって母マリヤの心に溜まった心配は、イエスを見たとたん激しい怒りと化し「お前は私たちに何という迷惑をかけたのか。見なさい。お父さんも私も心配してあなたを捜し回っていたのに」としかった。
イエスは答えた。
「どうしてわたしを捜していたのですか。わたしが自分の父の家にいることを、知らなかったのですか」
両親には、イエスが何を言っているのか見当がつかなかったが、ズバッと言いきったイエスの迫力に押されて、それ以上責めなかった。
この生意気じみたイエスの返答には何が含まれているのだろう。
イエスは神殿を「父の家」と呼び、主なる神を「父」と呼んだ。当時のユダヤ人は、神を父とは呼ばなかった。旧約時代の人々も、著明な信仰者たち、例えばアブラハムやモーセやヨシュアですら父とは呼ばなかった。ただ、ダビデ王だけが神を父と呼んだことがあった。しかし、それはごくまれなことで、普段は「主よ」と呼びかけていた。
イエスはこのときから、神をアバと呼び始め、それは一生涯続いた。息を引き取る寸前、彼の口から発せられた最後のことばは「アバ。私の霊をあなたにゆだねます」だった。
アバとは父の意味で、赤子がはじめに立てる音である。アバ、アバ、アバというように。幼児ことばなのだが、イエスが発声したとき、親しみがこめられていた。
人々にとって、それは奇妙な響きをもち、怒りを誘発させ、ある者たちはイエスを殺したいと思うほどであった。神をアバと呼ぶなんて、それは神を汚す冒涜罪だと言った。許せない、と思った。神と自分を同等においている、とうわさした。
12歳の時だ。すでに、イエスは主なる神と自分が特殊な関係にあることを知ったのだ。イエスは激しく怒る両親に、静かに平然と確信に満ちて「わたしが父の家にいることを知らなかったのですか」と言い放ったのだ。その自覚は、両親との関係より、教師ラビたちの教えより、周囲の批判的注目より強かった。「変わり者」と見られても、この少年の意識を一度すら乱すことができなかった。
人は、その自己理解、精神的発達、天命などを関係から把握していく。つまり、基本的な関係から、それらの決定的なものが生まれてくるのだ。目に見えない生ける神をアバと呼んだときに、イエスの生涯が決定づけられたと言っても決して過言ではないだろう。(続く)
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。