皆さん!お祈りしていますか?
唐突にこんな質問をしたりして驚かれるかもしれませんが、「祈り」について深く考えてみたいと思ったのです。
日本語で「祈るような気持ちで」と言い表すことがあります。これはどういうことなのでしょうか。この場合、「祈るような気持ちで」ただ見ているだけなのでしょうか。実際に祈ることはしていないのでしょうか。「だったら祈れば良いのに」と物事を複雑に考えるのが苦手な私は、つい思ってしまうのですが・・・。
もし「祈るような気持ち」があるなら、なぜ祈らないのでしょうか。Ich verstehe nicht!「わかりません」ホントに不思議です。特に日本の人は相手の「気持ち」を大切にするため、よく「〜したいと思ったのだけれど・・・」と言います。しかし時として、「気持ち」だけでは伝わらないこともあると思うのです。どのような場合も行動しない限り、「気持ち」だけでは Ein Zuschauer「一人の傍観者」で終わってしまうことがあります。
日本語でも「有言実行」という言葉があります。言葉だけでなく行動を起こした時に、その思いは形となって確かなものになるのではないでしょうか。
祈ることは一見すると、「何もせずに思いを凝らしていること」のように思われるかもしれません。しかし、祈り続けることによって、その様子は必ず変化しているのです。
多くの人はどんな時に祈るのでしょうか。何かを強く求める時、それとも恐怖から逃れたい時でしょうか。
自分本位の祈りでは、いわゆる「困った時の神頼み」と思われてしまうかもしれません。しかし神様は、たとえそのような祈りでも聞いて下さっているのです(もし、私の自己中心的な祈りも神様に聞かれていたとしたら、私など恥ずかしくて逃げ出したい思いでいっぱいです)。
もちろんその祈りが神様によって聞き入れられるかどうかは、御心によるものです。信仰生活を続けている私たちにとって、祈りはとても大切なものです。祈りのない生活をしていては、決して神様の御心を知ることはできません。祈りによって、神様からの Die Rueckantwort「答え」が私たちに届けられます。
日頃の生活でずっと変わらずにささげられる祈りは、感謝の祈りです。
ドイツ語では難を逃れた時などに Gott sei Dank!「ありがたい!」という表現を使います。それぞれを直訳すると、Gott「神様」sei「ある」Dank「感謝」となります。
私が Gott sei Dank! の場面に出くわした時には、いつも mein Schutzengel「私の守護天使」に感謝しています。けれども、もちろん毎日の感謝は神様にお祈りしています。
生きていれば、様々な葛藤の中にあって苦しむことなど、日常茶飯事です。私もクリスチャンとして挫折を感じることは、日常茶飯事より茶飯事です(正しい日本語ではないかも知れませんが)。
今年ももうすぐクリスマスがやってきます。子供の頃から私は、この時期になるととてもワクワクしながら、クリスマスの喜びを待ち望んでいました。そしてまだ幼かった私は、神様に宛てた手紙を書いて、神様の存在を確認していました。
待ちに待ったクリスマス。皆さん、教会へとお出かけになることでしょう。教会では聖霊を感じ、そしてもっと神様のことを知ろうとsehr neugierig「とても好奇心の強い人」になって下さい。そして教会から帰ったら、どうぞ神様に祈りをささげて神様と Eine Kommunikation「コミュニケーション」をして下さい。
「恐れるな、わたしはあなたと共におる」(イザヤ43:5)
この聖句を私から皆様へのクリスマスプレゼントに致します。今年も皆様がすばらしいアドヴェントとクリスマスをお過ごしになるよう、お祈りします。
【by Tokyoterin - 東京在住の女性クリスチャ】